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小峰和明の「説話の声」(新曜社)に導かれて、「日本霊異記」や「今昔物語集」を拾い読みしている。 例えば、こんな話。殺生で暮らしをたてていた悪人が、狩りの帰りにたまたまお堂で僧が説教している場に出会い、お堂に入っていく。 「五位(悪人の名)並みゐる人を押し分けて入れば、風に靡く草のやうに、靡きたるなかを分け行きて、高座の傍らにゐ、講師に目を合はせていはく、『講師はいかなることをいひゐたるぞ。わが心にげにと思はむばかりのことをいひ聞かせよ。さらずば便なかりなむものぞ』といひて」刀で脅す。 僧が答えていうには、「これより西に多くの世界を過ぎて佛おはします。阿弥陀佛と申す。その佛、心廣くして、年頃罪を造り積みたる人なりとも、思ひかへして一度(ひとたび)阿弥陀佛と申しつれば、必ずその人を迎へて、楽しくめでたき国に、思ひと思ふこと叶ふ身と生まれて、遂には佛となりなむなる」と。 何を思ったか、男は手下のたしなめるのも聞かず、その場で髪を剃り、身につけていた水干袴を脱いで袈裟を着て、弓矢のかわりに金鼓(こんぐ)を頸に懸けていうには、 「『われはこれより西に向かひて、阿弥陀佛を呼びたてまつりて金(かね)をたたきて、答へたまはむ所まで行かむとす。答へたまはざらむ限りは、野山にまれ、海河にまれ、更にかへるまじ。ただ向きたらむ方に行くべきなり』と言ひて、音を高くあげて『阿弥陀佛よや、おいおい』と叩きてゆくを・・・」 それから七日間、「深き水(かは)とても浅き所を求めず、高き峰とても廻りたる道も尋ねずして、倒れまろびて向きたるままに行くに」 七日目に、「阿弥陀佛よや、おい、おい」という呼びかけに阿弥陀佛が答えるのを聞く。男は、その後、高く険しい、西に海の見える所に生えた木の股に登ったまま死んでいた。見ると、 「見れば口より微妙の鮮やかなる蓮華一葉(いちえふ)生ひたり。」 読めばおわかりいただけると思うが、極悪人があっさりと弓矢を捨て、いとも簡単に阿弥陀佛を唱えて西方を目指すというところに、解せぬものを感じられると思うが、それが実際に読んでみると、ほとんど気にならない。語りのエネルギー(それはとりもなおさず、阿弥陀佛を希求する思いの丈の強さだろう)が、そう思わせるのだろう。とにかくその語りのスピード感がおもしろい。極悪の限りを尽くした男が、一気に改心して、西方浄土へ、鉦を叩きながら「阿弥陀佛よや、おい、おい」と声をたてて突き進んでいく。改心したと言っても、極悪の限りを尽くした男の荒々しさは少しもかわらない。かなわぬことだが、この男の声と鉦は、ぜひとも聞いてみたいと思った。 それから、もう一つは、口から蓮華が生えていたというところも見逃せない。有名な空也上人像をだれもが思い出す。その像も、鉦を持ち、口から小さな阿弥陀佛の像が出ていた。口から蓮華を出しているというイメージは、実にあざやかである。それが講師の僧が言うとおりに、佛になったことの証しなのだが。 なお、男が死んでいた木の股というのはこの世とあの世を結ぶ接点、境界にあたると、小峰氏が指摘していることも添えておこう。
by loggia52
| 2010-01-31 13:37
| 書物
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