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初期の銅版画から現在まで、200点以上の展示。 図録の初めに野村喜和夫さんの「北川健次試論」がある。 そこでは冒頭に、野村さんが北川健次と関わるようになったきっかけは、彼の《ランボー》をモティーフした作品に触発されたからだと述べておられるが、ぼくは《カフカ》から北川健次の詩学の手に落ちた。カフカの眼のあたりを切りとった、初期の《Kの肖像》という小さな横長の作品で、画面の下方に文字が、さらに画面を縦横に交差する直線が横切っている。肖像写真の粗いドットの粗密をそのまま腐蝕する手法といい、文字や交差する直線を重ねるやり方といい、全体ではなくその一部を切りとるやりかたといい、いかにも北川のスタイルで装われた小品だが、この覗き窓からこちらを見つめているような不穏な眼差しは、しかしカフカのものではない。 そんなことを思いながら、美術館を巡っていると、西欧の骨董的な道具、器械類、色あせた写真や、過去の芸術家の肖像や作品、古い建築物や彫像などの一部を切りとり、引用しながら、再構成するという手法を、北川は一貫してとり続けているのだが、それら引用されたもののことごとくが、なんらかの意味で強いアウラを放散しているものであることに気づいてくる。 それらはすべて過去において光を帯び、強い現在性を刻印されたものである。そして、その過去の時間を、そのものの中にかたく封印している。そこに封印された時間は、彼の感性的な引用の手法によって切り取りとられ、作品化されるとき、エーテルのように揮発し、現在という時間に流れ込んでくる。その時に北川が取る手続きで重要なのは、先ほど述べた、刷り込まれた文字群であり、画面を縦横に横切る直線である。それらを引用されたものに重ねるとき、そのものの持つアウラは、いっそう時間的な遮断と交通不能な次元の封緘をほどこされることによって、より強い揮発性を、作品に充満させることになる。これが、ぼくの理解する北川の詩学である。 この日は、久しぶりに北川さんとも歓談することができた。何年ぶりだろうという話になって、前に会ったのが、矢川澄子さんのお別れの会以来だということにお互いに気がついた。もう10年も前のことになる。次から次へと話題が繰り出されてくるのは、むかしのまま。現実との向き合い方や世界との距離のとりかたに、彼独特のスタイルがあって、それは今に到るまで、いささかもブレはない。 北川展の図録も充実している。彼のこれまでの作品を俯瞰するうえでとても参考になる。 最後に、これは今回の展覧会には出ていない作品だが、初期の大判の銅版画で、ぼくが持っているもののなかでは、密かに偏愛する一点。《14》というタイトルの作品。
by loggia52
| 2011-12-11 12:21
| 美術
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