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このノンフィクションの作者駒村が言わば語り手になって、実際に、版画の真贋や白描画の緻密な推理を行い、捏造された藤牧の人生の虚の部分をくつがえし、彼の人生を新しく描き直していく探偵役が、1978年に藤牧義夫の遺作展を開き、彼の名を創作版画の世界で谷中安規らとともに重要な版画家として定着させた画廊主、大谷芳久ということになるだろうか。 ノンフィクションの中身については、やはり実際に読んでもらうのが一番だが、そのさわりだけ。 藤牧は二十四歳の時に、姉の家に行くと告げて、そのあと忽然と消息を絶ってしまう。もちろん未だにその死は謎のままである。その謎の失踪について、のみならず、彼の人生のすべて、及び、彼の残した作品についてのいっさいは、藤牧の「画友」であった創作版画の重鎮である小野忠重の強い影響下のもとに扱われ、語られることになる。「病身で気の弱い青年」、「貧しいその日暮らしのひとり身で、自分の口に入れるものすら満足でな」く、「絵だけが生きるよすがで」、さいごは「憑かれたように絵巻の制作にのめりこんでいた」と、小野は彼の人生を語っている。そして、藤牧はその挙げ句に「隅田川に身を投じたのではないか」、というのが小野忠重の描く藤牧像だった。 ところが、そうした藤牧像のことごとくがくつがえされていく。そのあたりはぜひ本文にあたってもらいたい。 そして、このノンフィクションの一番の読みどころは、小野が遺作展のために画廊主の大谷にゆだねた藤牧作品94点のうち、藤牧の真作はわずか33点にすぎず、あとは後摺りや改竄された作品であったことが明らかにされる場面である。その真 贋を見極める克明な作業をなしとげたのは他でもない、遺作展を企画した大谷芳久自身である。それに彼は10年をかけている。「私の行った藤牧義夫遺作版画展は 何だったのか、私の扱った藤牧版画とは何だったのか、それを私なりに明確にするために」10年かけて、真贋を執拗に検証してきたというのである。それはま た、「数多くの後摺りや改竄版画を展示販売した(遺作展では出品作94点すべてが完売だった)」という事に対する自責の念のしからしむる行動でもあった。 ところで、大谷が遺作展に出品された藤牧作品に懐疑をいだき、本格的な真贋の調査を始めるのは、小野忠重の死よりずっとあと、今から14年ほど前のことになる。そのきっかけを作ったのが、今、藤牧展が開催されている神奈川県立近代美術館の館長、水沢勉である。まだ未見であった《隅田川両岸絵巻》の第4巻を見に行きませんかと、水沢に誘われ、それを見た大谷は、小野のこの巻についての証言に疑念をいだく。小野は、この巻は藤牧の失踪直前の衰弱しきったころのものだと証言しているのに対して、大谷は、これは他の巻よりも先に作られたものであると直感する。「藤牧義夫は-、死のきわであえぎながら第四巻を描いてなどいない。この線のかたさは、絵巻にとりかかろうという初期のものゆえで、風景のとぎれは、それがそもそも習作、あるいは実験だったからではないか。試行錯誤のあとなのだ。」この大谷の第四巻にたいする直感を検証するために、彼は水沢らとともに、実際に隅田川を探索し、絵巻で描かれた風景を検証していくのである。 それがきっかけとなって、他の版画作品についても、真贋の検証作業を始める。まず彼の代表作《赤陽》である。これは、すでに洲之内徹が「きまぐれ美術館」のシリーズで疑義を呈していたものだった。ついでながら、洲之内は、大谷よりも早く小野の藤牧像に疑いをもっていたようだが、それをあばく手前で急死してしまう。 ちょっと長くなりすぎた。今回の展覧会の企画の一つに、加藤弘子氏(東京都現代美術館学芸員)と水沢勉氏(館長)による「記念対談「《白描絵巻》を中心に」がある《2月25日(土曜) 午後2時~午後3時半》。当事者のお一人でもある水沢勉氏のお話は興味あるところだ。
by loggia52
| 2012-02-16 00:45
| 美術
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