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多くの詩人たちが戦争翼賛の詩を書いたのはなぜなのか。単純に権力に強制されて書かざるを得なかったのではない。もっと主体的な意識のもとに詩人たちは戦争翼賛の詩を書いた。そうだとすれば、それはなぜなのか。権力によって民衆が巧みに操られ、詩人もそれにのせられたというような単純なものではあるまい。大正から昭和にかけて、何があったのか。北原白秋の詩人としての戦争翼賛への道行きと、当時の民衆にはぐくまれていた植民地主義的心情の行方とが重なり合っていく過程を、克明に解き明かしたのがこの『詩歌と戦争』。常々、不可解に思っていたこの問題について、いろいろと考えさせられた。 そのような白秋の詩情と民衆とのかかわり(とくのこの本では、戦争翼賛へと進んでいく民衆の下からの主体的なかかわりに焦点を当てている)については、この本を読んでいただくとして、ひとつだけ、ここで取り上げたいのは《郷愁》というキーワード。さらには、それが最終的に《歌》の力によって、戦争翼賛の重要なモチーフとして利用されていくというおそろしい筋道について。 話は、明治初期からの唱歌教育にはじまる。唱歌教育の目的の一つは、「さまざまな地域的・階層的差異(方言)により互いに言葉が通じないほど多様であった当時の日本の言語状況」をただして、発音を柱とした「標準日本語」の普及にあった。1900年(明治33年)の小学校就学率が90%を越えていたことから、唱歌が「日本全国の教室で『正しい日本後』の基準になっていた。」逆に言えば、「正しい日本語の」発音が子供たちに注入され、「その裏で『直さねばならない方言』が指定され厳しく排除されることになっていった」 また、それとは別に、唱歌は思想や感情を「訓育」し統御する重要な役割も担っていた。その中で《郷愁》をモチーフにした唱歌が多いことに筆者は注目する。「蛍の光」「庭の千草」「埴生の宿」「故郷の空」「旅愁」「故郷の廃屋」といった唱歌が、その例としてあげられている。しかもこれらはほとんど「翻訳された外国曲」。さらに《郷愁》という感情をテーマにした歌が日本にはなかったことや、故郷を離れた者が愛郷の情を陳べるのが《郷愁》だとすれば、それは小学生にとって全く経験のない心情であり、理解しがたい思いであることを考えてみれば、そこに意図的な思想や感情の統御が図られているとみるべきである。 やがて、国産の、あの有名な「故郷(ふるさと)」がつくられることになるが、その教師向けの指導書の中で、「故郷(ふるさと)」についてこう述べられている。 「小学校生徒は遊学して居る時代ではないから故郷といふ題目は了解に苦しむだらうと云ふ人もあらうが、我現在成長しつつある処(ところ)即ち故郷は此くの如く懐かしいものであると云ふ感じを吹込むつもりで作つたのである。郷土を愛するの念は、これ国家を愛するの念なり。郷土を思ふの念は郷土を離れて始めて沁みじみと感じられたる思ひである。郷土を離れたものの愛郷の情を想像させることは訓育上恰好(かっこう)の材料ではあるまいか。」(45p) ちなみに1914年(大正3年)の6年用の唱歌教科書の曲の配列が載っているので書いておくと、 「一 明治天皇御製 二 児島高徳 三 朧月夜 四 我は海の子 五 故郷 六 出征兵士 七 蓮池 八 灯台 九 秋 十 開校記念日 十一 同胞すべて六千万 十二 四季の雨 十三 日本海海戦 十四 鎌倉 十五 新年 十六 国産の歌 十七 夜の梅 十八 天照大神 十九 卒業の歌」 以下、この中の「故郷」の位置について、筆者はこう述べている。「『我は海の子』は、本来は『海国男子の精神を涵養』するという趣旨で作られていて、見られるとおり最後の七番には、海外進出に乗り出す帝国への翼賛とその防衛への自覚が直截の表現で説かれていました。また、そのつぎに『故郷』を挟んで続く『出征兵士』では、父母に願いを語らせる形で、この帝国の戦争に参戦して義勇をつくす国民の義務が告げられています。このように帝国への翼賛と献身の義務が前後で語られるコンテクストで、その間に置かれた『故郷』が『郷土を離れたものの愛郷の情』を想像するように求めていたわけです。すなわちここで、戦争に向かう国家への献身という態度と、(略)《郷愁》という感情とが関係づけられ、この両者併せた習得が文部省の公式的な教育指針として上から指示されていたのでした。」48p こうした唱歌教育に真っ向から異を唱え批判したのが北原白秋だった。唱歌があまりにも子どもたちの心情をとらえていないとし、「全然子供と云ふものを、その生活を知り得なかった」と主張し、「不自然なる教育唱歌」として厳しく批判した。そういう唱歌に対抗するかたちで、白秋は《童謡復興》をかかげ、「官製国家主義に迎合するのではなく、むしろそれに抗して子供の『自由』を求め」ていくことになる。《赤い鳥》創刊の前年のことである。以後、白秋の童謡が次々に傑作を生んでいくのは言うまでもない。 この白秋の自由主義が「いったいどうしてそれとは対極的にも見える戦争詩や詩歌翼賛にやがてつながってしまうというのでしょうか。」というのが、先に言ったように、この本のテーマの一つとなっている。これについては本書でどうぞ。 ぼくの述べたいことはもうすこし続きます。
by loggia52
| 2012-08-15 12:06
| 書物
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