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「・・・気仙沼から舟で釜石にわたり、其処で遠野の佐々木さんを一行に加え、総勢三人でいよいよリアス式の登り下りの多い海岸道を一路青森八戸の辺まで向うことになったのである。 ご承知のごとく岩手の北上山地は侵蝕を受けることの少ない準平原(ペネプレーン)の姿を保存し、山の上は高原性であるが、その山波は太平洋岸に次第に陵夷し、海際に断岸をなしておる。幾条もの川が平行線をなして東流し、海に注ぐが、それが三四百尺の深い峡谷をつくり、旅人はこれを上下しては、また高原性の海岸台地の上を歩かねばならなかったので可成苦しい行程であった。その台地の上には、萩の花の咲き乱れている道であったが、行きかう人もごく稀れであり、たまに見受ける家も主人は海に出、主婦は幼児をイヅコ(傍点)に入れて畑仕事をしているような孤立家屋でその淋しさはさこそと思われるものであった。 こういう道を何日も泊りを重ね、北へ北へと急いだのであったが、宿屋につかれると先生は、柱によって坐られ、煙草をふかされつつ、サラサラと筆を走らせていられていた。それが毎日の朝日新聞の紙上を飾り、後に『雪国の春」 の一部を構成した『豆手帖から』の原稿であったのであり、私共は、先生の達筆と博覧強記に全くおどろかされざるを得なかった。」 人が風土から突き放されているような孤立家屋。延々と続く台地に繚乱と咲く萩の花。その花に心奪われる柳田一行だが、そこには人々の孤立した寂しさが忍び込んでいる。とくに、この釜石からの三陸海岸の旅は、稗や粟の畑に出会うことが多く、稲を拒んだ風土そのものを柳田は目の当たりにしている。『雪国の春』に流れる通奏低音である柳田の淋しさは、稲を拒むような風土に孤立して活きている人々に出会うところに発生しているのではなかろうか。 ところで、その『豆手帖から』に、「子供の眼」という一編がある。 十五浜(石巻付近)から発動機船で追波川をのぼっていたおり、釣台(担架?) にのせられた病人が乗る小舟とであう。窒扶斯(チフス)にかかった十二、三歳ばかりの女の子。石巻の病院に向かっているらしい。当時は、チフスで多くの人がなくなっている。柳田はその女の子と眼があってしまったのである。 「多分は出水の川船の数里の旅行の後、石巻で亡くなつたことと思ふが、それは十一二ばかりの女の児であつた。草の堤を稍下りに、船を見ようとして私を見つけたのである。眼の文章は詩人にも訳し得まいが、或は自分を医者かと思つて、お医者さんなら遠くへ往かずともすむのにと、考へたらしかつたのが哀れであつた。」 引用の冒頭に「石巻で亡くなつたことと思ふが」と何気なく書いている。死が今と違って日常のすぐそばにあった時代をうかがわせる挿入句だが、どきりとさせられる。 その眼差しが「凡人の発心を催すような眼であった」と書いている。続けて、「 こんな場合でもなければ、子供の眼は常に幸福である。よその多数の幸福を知らずに、安々とした眼をしているのが、旅人にとっては風景よりも歌謡よりも、さらに大なる天然の一慰安である。」 ここに《眼の文章》というのが出てくるが、柳田の《眼》についてのこだわりは、前に盆踊りを《眼の音楽》だと言ったりしていることをここで書いたが、柳田の旅上の眼差しは、しばしば時間を止めてしまう異様な力を秘めている。それが、東北の風土の植物や、人々の仕草や表情、生活の細部に対してはたらくとき、東北という風土そのものの本質に強く触れていると思われる。そのところがまた、文学的な感興をかきたてる。 この時間を止める眼の異様な力で思い出すのは、晩年の『故郷七十年』で回想していることだが、茨城県布川の長兄の家に身を寄せたおりのことである。小川家の土蔵前に小さな石の祠(ほこら)があり、その扉を開けてみた。そのなかに「綺麗な蝋石の珠(たま)」がある。以下は引用。 「その美しい珠をそうっと覗いたとき、フーッと興奮してしまって、何ともいえない妙な気持ちになって、ど うしてそうしたのか今でもわからないが、私はしゃがんだままよく晴れた青い空を見上げたのだった。するとお星さまが見えるのだ。今も鮮やかに覚えている が、じつに澄みきった青い空で、そこにたしかに数十の星をみたのである。......そんなぼんやりした気分になっているそのときに、突然高い空で鵯がピーッと鳴いて通った。そうしたらその拍子に身がギュッと引きしまって、初めて人心地がついたのだった。あのときに鵯が鳴かなかったら、私はあ のまま気が変になっていたんじゃないかと思うのである。」『故郷七十年』 澄み切った青空に数十の星を見たというのである。柳田がこれを語ったのは昭和32年、八十歳を越えてからだから、よほど鮮明な記憶であったにちがいない。こういう異様な眼の力が、「遠野物語」に流れている異空間のリアルな臨場感を支え、東北の旅の通奏低音となる淋しさと美しさを深く響かせていると思うのだが。 ちなみに、この昼の星で思い出すのは高浜虚子の 爛々と昼の星見え菌(きのこ)生え という句である。これはいかにも虚子の怪物ぶりを思わせる好きな一句だが、もちろん、虚子の句は晩年の昭和二十二年の句だから、柳田の話とは全く関係ない。
by loggia52
| 2012-08-30 21:35
| 書物
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