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まず、藤井貞和氏。 氏は、和合亮一氏のツイッターによる詩の営為を、一貫して支持し、和合氏への詩人たちのバッシングにも似た批判のなかでも、和合氏の創作活動に強い敬意を抱かないわけにはいかないと記者のインタビューに答えている(産経新聞11月2日大阪版)。 シンポジウムでは、福島の状況について、言葉の深刻なタブーが進行していること。放射能という言葉すら、福島ではタブーの言葉になっている。原発事故について証言しようとしても、何が真実なのか、真実そのものが隠蔽され、隠され判らなくなっているために、証言する言葉が失われている。高齢者は原発誘致をすすめてきた加害者的な立場があり、ご先祖さまに申し訳ない思いで口をつぐみ、母親たちは、内部被曝がもたらす子供の将来を考えると、さらに口が重くなる。さながら、戦後長らく沖縄戦の、集団自決なとについて沖縄の人たちの口からタブーのように語られなかったことを思い出すと、氏は語る。解決しようのない放射能災害、風評被害、内部被曝の恐れが拡散している状況にある。福島県が切り捨てられていくという思いがますますつよくなっている。故郷を離れたまま福島県に帰れない人々は、(定義の厳密な意味からはそぐわないが)まさにディアスポラであり、内発的な難民であるとさえ言えるのではないか。 そのような現実を《言葉》を紡ぐものとして、どうかかわるのか。藤井さんが和合亮一氏の一連の詩の営為を高く評価するのは、その関わりかたの一つのありかたとして意義のあるアプローチだと考えるからであろう。 次に、金時鐘氏。 詩人は時代の変遷を予知し、察知できなければだめである、ということに尽きるだろうか。金氏のレジュメのなかにこうある。 「ノアの洪水を思わせた東日本大震災はそのまま、現代詩と言われてきた日本のこれまでの詩のありようをも、破綻させずにはおきませんでした。観念的な思念の言語、他者とはあくまでも兼ね合うことがない、至ってワタクシ的な自己の内部言語、そのような詩が書かれるいわれが根底からひっくりかえってしまいました。心ある表現者ほど、自分で言葉を呑み込まずにはいられなかった、この一年半でもあったのでした。 人知の驕りをもひっぺがして余りあった東日本大震災を経て、とみに考えさせられていることは詩を生きることの素朴さについてです、『素朴さは詩人の単なる条件ではなく、詩人が詩人であるための『理論』である』と言ったのは大先達小野十三郎の『詩論』のなかの言葉でした。私は簡明に演繹して、その素朴さとはいささかのひけらかしもない、思考の表出だと思っています。日本の現代詩が長い間、読者を拡げられないまま逼迫していったのは、インテリでなくてはならないかのような、知的思念をひけらかした、その虚飾性にあります。自分の知識をひけらかすところからは、実感は生じません。私にはこの実感の形象こそ、リアリズムです。 《略》 詩の様式を大衆からかけ離れたところまでますます観念化複雑化させてしまうのではなく、自分もまたその他多数の中の一人であることを自覚し、その『大衆』に詩がにじり寄り、詩を詩本来の単純さに昂めていくためには、ひけらかすことの一切を取り払うだけの素朴さが、詩人の資質として回復されてこなくてはならないと思うのです。」 戦後詩は、近代抒情詩を吹き払ったという点については一定の成果をあげたが、時代の結節点、時代の変遷については無関心であった。今の政治的状況、大阪や東京で進行している時代的な《大状況》に不気味さを感じない、のっぺらぼうな衆愚感覚に肌寒さを感じる。詩人は、見えない、聞こえないところで震えているものを察知し、時代のそうした変遷に敏感でなければならない。 そうした現実に対して、微細なもの、具体的な小さなものから想像する(面白いカマドコウロギの話が挟まるが、省略)ことが必要ではないか。 たかとう匡子さんは、阪神淡路大震災後、「鎮魂の思いにかられて『神戸・一月十七日未明』という詩集を編んだ。」 しかし、その後、自らの詩の表現では「とうていその途方もない現実を越えられない」という思いにかられ、詩の従来のスタイルを変えることによって、震災詩に向かったという。それが『ユンボの爪』、『立ちあがる海』、『水嵐』、『水よ一緒に暮らしましょう』という詩集を生んだ。「建物がこわれ、街が、道路が、樹木が、くずれていったとき、言葉もそれに負けずおとらず、いやそれ以上にうち虐げられたと実感した」。「そこで建物や暮らしをたてなおすようにして、表現やその用語法についてももっとしっかりしたものにしなければと思うようになって、その思いはずっと続いてい」るという。 細見和之氏。 東日本大震災の後、テレビでさかんに、金子みすずの「こだまでしょうか」という詩が流された。細見さんは、なぜ「詩」が流されたのか。短歌でも俳句でもよかったのに、なぜ詩でなければならなかったのか、と問いかける。 素直に入ってきやすいものとして「詩」が選ばれたということのほかに、「詩」が選ばれたのは、いちばんあたりさわりのないものだからではなかったかと言うのである。(この細見説はなかなか卓見ではないか。ぼくの考えは、ここで述べたことがある。) 細見さんも、用意されたレジュメから引用する。 「震災のような大きな出来事を書くうえでは時間が必要だ、とよく言われます。10年はその体験を寝かしておいて書くべきだというようなことも私はよく聞かされました。実際、大きな小説の形で今回の震災が描かれるのには、それこそ最低10年ぐらいの時間が必要かもしれません。しかし、災厄をふり返ってではなく、災厄のただなかで書くというのも、詩のだいじな機能のひとつなのではないでしょうか。 災厄のただなかで書かれるものの代表は日記でしょう。ホロコーストのただなかではたくさんの日記が書かれました。『アンネの日記』はその代表ですが、ここ数年私が研究しているワルシャワ・ゲットーでも何人ものひとがそのただなかで、日記を記していました。しかし、通常日記は災厄のただなかで、その災厄を経験しているひとびととその記述を共有することを目的とはしていません。『詩』は災厄のただなかで、その災厄を経験しているひとびとに向けて書かれることがあります。あるいは日記であっても、たとえば朗読するなどの形で、それが同時代のひとびとと共有することを目的に書かれていれば、それは『詩』である、と言うことができるかもしれません。たとえば、それが短編小説の形式を採っていても、やはり、『詩』だと呼びたいところが私にはあります。 災厄のただなかで、災厄をともにしている人々に向けて書かれうるもの―そこには『詩』のだいじな定義のひとつがあるようにすら私には思われるのです。」
by loggia52
| 2012-11-13 22:38
| 詩
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