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没後60年ということで、伊東静雄の詩をテーマに、田中俊廣氏の基調報告のあと、倉橋健一、今野和代、寺田操さんをまじえてのシンポジウム。 田中さんの講演は、伊東静雄の詩を考える切り口として三つを提示された。先ず一つ目は15年戦争の時代を生きた詩人であるということ。二つ目は自己探求、問いかけの詩であったということ。三つ目は、詩を生きる/詩で生きるということについて、特に詩の文体の試みに着目すべきであるということ。 今日のセミナーでは、やはり三つ目の文体-スタイルの問題に尽きるのではないかと思った。《わがひとに与ふる哀歌》の口語のスタイルから《夏花》、《春のいそぎ》の文語詩へとかわり、戦後の詩集《反響》に見られる口語詩は、《わがひとに与ふる哀歌》とはまるきり異なる平易なことばで書かれている。《哀歌》から《夏花》への変遷を「遁走」ないしは「凋落」(桶谷秀昭「伊東静雄論」)と考えるかどうかどうかということになる。もちろんそこには、15年戦争の時代ということも考えないといけないわけだが、ぼくには、伊東静雄のスタイルの変遷をたんに《衰退》と捉えるのではなく、近代詩(あるいは日本の詩)の構造的な特殊性の問題としてとらえるほうが実りある収穫が得られるのではないかと思う。 ただ、今は次の《ロッジア》をなんとか年内にと考えているので、続きを書く余裕がないので、またいつか書きたい。 さて、このイベントが始まるまえ、吉増剛造氏の《「伊東静雄「有明海の思ひ出」に添いつつCineとともに》という映像作品が上映された。例によって、吉増氏の『裸のメモ』も配布された。
by loggia52
| 2013-11-17 23:08
| 詩
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Comments(1)
Commented
by
yf
at 2013-11-19 09:03
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『伊藤静雄』をお取り上げ下さり、ありがとうございます。
毎月、大阪南海電車高野線を1回利用して『ベートーヴェンに聴く』という会に出席しています。(不良会員です) 電車が三国ヶ丘を通過するとき、三国ヶ丘に住んでいた、伊藤静雄を、そして伊藤静雄の「しゃがんで子供と視線を同じくしている写真」を思い出します。
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