カテゴリ
全体 Loggia/ロッジア 『石目』について ぼくの本 詩集未収録作品集 詩 歌・句 書物 森・虫 水辺 field/播磨 野鳥 日録 音楽 美術 石の遺物 奈良 琵琶湖・近江 京都 その他の旅の記録 湯川書房 プラハ 切抜帖 その他 カナリス 言葉の森へ そばに置いておきたい本 未分類 以前の記事
2023年 11月 2023年 10月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 more... フォロー中のブログ
最新のコメント
メモ帳
ライフログ
検索
タグ
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
つのだたかしさんに初めて会ったのは1985年、タブラトゥーラ結成の翌年ということになる。来年はつのだたかしとの出会い30周年だ。静岡のギャラリー《ヴォワイヤン》という、ぼくにとってはとても大切な場所。そこで、つのださんのリュートをバックに詩の朗読をするというイヴェントがあった。そのときは、高柳誠もいっしょに朗読したのだが、初対面の挨拶もそこそこに、リハーサルめいたことをしたのだが、つのださんがリュートを弾きだしたとたんに、ぼくたちはもう朗読をすることも忘れて、その音色に聴き入ってしまった。初めての音であり、音楽だった。それこそ目の前で、あの美しい楽器のフォルムと、心に沁みるような音の臨場感で、ぼくも高柳も、ほんとに痺れてしまった。 つのださんに会ってから30年と言ったが、それはぼくだけの話じゃない。つのださんが、望月通陽さんや、柄澤齊さんと出会ってからも30周年のはず。 とりわけ、つのだ・望月のデュオとでも呼んでもいいような出会いもこのときに始まる。 望月通陽さんの染め絵が、タブラのファーストアルバムに飾られたのは画期的なことだった。それ以後、彼の絵が、パルドンレーベルのジャケットに馴染んでいく。彼の絵を使ったジャケットデザインを小泉文治(竹村英明)さんが手掛けるようになって、ますますパルドンのCDは個性的な光を放つようになるわけだが、つのだたかしが、LPやCDのジャケットに強い思い入れをもって、そのデザインに心をくばったのは、湯川書房の湯川成一さんの本づくりに深く影響を受けたのではないかと、ぼくは臆測している。静岡の画廊で、湯川書房の本の展示があったりして、ぼくたちが、本づくりについていちばん熱くなって話をしていたのを、つのださんも興味をもっておられた。そんなところから、彼はみずから育みつつある音楽をプライベートに包む容器として、レコード・CDを制作することへと繋げていったのではないか。 それは、パルドンレーベルのジャケットが、ほかのメジャーなレーベルのジャケットと比べれば一目瞭然。ジャケットの顔には、匂い立つようなパルドンの個性と、つのだの音楽に対する控えめだが強い自負が溢れている。音楽は、音ばかりじゃなくて、その気配やニュアンスや空気感を包みこむ容器にも心を配するべきだというような思いを強く感じるのだ。 この原画を見ると、中央に鉛筆で、望月さんのサインが入っている、「michiaki for Hiro & Jiro 30 may 1987」とある。 HIroとあるのはぼくの家人で、実は前年に結婚をしていた。おそらくは、アルバムジャケットの原画がキティレコードから返却されたのを、そのまま、ぼくに贈っていただいたものだろうと思われる。(原画が巻かれていた紙には、ジャケット印刷についての望月さんの指示が細かく書かれている。)そこで日記を調べると、次のようにあった。 「1987年5月29日東京。青山で小林健二氏の個展。那珂太郞、高柳誠、北川建次、望月通陽、偕成社の今村正樹氏らと山の上ホテル。翌日、高柳と西洋美術館。望月、柄澤両氏と名古屋の高柳宅へ。」とある。ということは、望月さん、柄澤さんとともに高柳の家に乗り込んだ夜に、サインを入れてもらったということになるのだが、そのあたりの記憶がぼくにはない。おそらくは深酒して覚えていないのだろう。 ちなみに日記によると、ぼくが初めてタブラのライヴに行ったのは、この年の6月19日の大阪のテイジンホールで、このときはいつもこのブログをご覧になって下さっているFさんも一緒だった。このあたりも、つのださんは大阪でよく演奏会をされていて、とくに都住創ホールは何度も聴きに行った。高槻の「スタジオ73」といういホールにも聴きにいったが、湯川さんと一緒だったこともある。 まだ波多野睦美さんと組む前のこと。つのだたかしの話術の妙が冴えわたっていたころの話。 つのださんのリュートに深く心酔して、ダウランドの音楽やカウンターテナーの音楽に魅せられていった頃のこと。
by loggia52
| 2014-07-05 22:40
| 音楽
|
Comments(3)
Commented
by
yf
at 2014-07-06 09:28
x
小生もこの帝人ホールへ聞きに行った一人です。
くしくも11日は『水雀忌」で先日(5日)「四天王寺前夕陽ヶ丘」近く青蓮寺のお墓に線香を手向けてきました。
0
Commented
by
loggia52 at 2014-07-06 09:37
よくお出会いしましたね。祇園祭のころになると、水雀・湯川さんの訃報を伝えてくださったことを思い出します。
Commented
by
yf
at 2014-07-07 08:42
x
申し訳ありません。付け加えます。小生の年(80才)になると夜間の外出は危なくなりました。「マチネー」を考えてほしいです。「都住創」(大阪市東区釣鐘町)も懐かしいですね。前で湯川さんよ待ち合わせをした記憶もあります。この町は小生の生まれた処でしたし、ここにサントリーを起業された佐治さんの父上、鳥井さんがが「両替商」を営んで居られました。
|
ファン申請 |
||