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その版画論の冒頭はこう始まる。 「版画は言葉である。いつの頃からか、この考えが私の内部を充たし、呪文のように身体にこびりついて離れなくなってしまった。ある種の版画を前にすると、白黒の画面に刻印された何万本の点と線から、インクの匂いではなく芳醇な言葉が香り立つのを感じ、たちまち魅了されてしまうのだ。」 「版画は言葉である」というのが、柿沼さんのライトモティーフであり、ぼくもまた彼の思いに共感を覚える。 彼が選ぶ6人の版画とは、駒井哲郎、加藤清美、坂東壯一、日和崎尊夫、柄澤齊、菊池伶司。この人選からも、ぼくと共通した版画観が窺える。 例えば、坂東壯一について書かれた章の冒頭。 「坂東壯一の銅版画は美しい。美しいという最もシンプルな形容がぴったりする版画である。いうまでもなく、人物像や草花の描写が綺麗なのだが、美しさの要因は別にあるようだ。一本一本の微細な線と、肉眼では識別出来ないほどの点描による光の粒子のようなグラデーションは、そこにあるべくしてあるといわざるを得ないほど、正確に刻み込まれ、強固なマチエールを形成している。その美しさは精錬した言葉を緻密に配置したようなもので、西洋的な図像ではあるが、根幹にある美しさはいわば、泉鏡花の人形譚や大手拓次の詩、象牙のように冴えた久生十蘭の描く女性像などに表された、日本語の精緻でなめらかな言葉づかいを彷彿とさせる。」 ぼくが一番最初に買った版画は坂東さんの小さな銅版画だったが、そのあと静岡で初めてお会いしてから、一段と興味を持つようになり、この写真の作品『海へのノスタルジー』を画廊で見つけたときは震えた。ぼくのコレクションのなかでも大切な一枚だが、柿沼さんは、彼の銅版画の美しさを「精錬した言葉を緻密に配置したようなもの」といい「泉鏡花や大手拓次の詩」になぞらえているのは卓見である。 また、坂東壯一の作品に頻出する仮面や人形や貝殻の類、骨といったモティーフに共通する《虚ろさ》《空虚さ》を指摘し、「背後に拡がる闇にこそ、真の存在が潜んでいることを暗示している」として、次のように坂東論を展開していく。 「仮面や人形の持つ虚ろさにこそ、坂東の己への問いかけがあるのではないだろうか。坂東が一貫して描いている仮面と人形のような人物を見れば、彼の中には、生と死、虚妄と真実に揺らぐ実存へのはっきりしたイメージがあることに疑いはない。要するに、銅版に刻まれた美しく精緻な人物たちは、身体の内に湛えた闇と、闇が深淵であればあるほど、逆説的に強まる存在への実感とが、版の虚実と複雑に絡み、交わり合いながら表されているのだ。そのため、坂東の版画は、人間が抱える虚と実そのものの表象といっても過言ではないだろう。月光に冴え冴えと映えているように見える仮面や肢体は、照らされているのではなく、闇への墜落と再生のエネルギーを糧にした強烈な存在への問いかけを光源に、内から光を放っているように見えてしまうほどである。」 スリリングな坂東壯一論だ。どうして坂東さんが、執拗に仮面や人形や骨や貝殻をモティーフに描くのか、ぼくもあれこれと考えたことがあった。しかもそれらのモティーフはことごとく中味は空虚であり、がらんどう、抜け殻、それ自体では生きていないもの。前日に引用した種村さんの人形論から拝借すれば「虚無に呑み込まれる危うい予感をたえず湛えている」。坂東さんの版画の仮面やどくろや貝殻類を浮かび上がらせている背後の闇が、それらの空虚に実存の光を注いでいるというのである。 とすれば、坂東壯一の版画の核心にある虚無感と闇の関係が、いったいどこから生まれてきたものかというところまで、柿沼さんの論は続く。このあたりでとめておくが、このあと、坂東さんとの対話のなかで、「存在とは、さびしい。それなくして版画は成り立たないものであり、版画が、最も存在の孤独を表現出来る気がする」という語りがあり、坂東さんの幼少年期のある特別な体験についての言及がある。その核心部分はぜひ、本書にあたってほしい。 ちなみに、柿沼裕朋さんは1970年生まれ。某テレビ局の美術関係の番組のディレクターとして活躍なさっている方で、何度かお目に掛かったことがある。最近では、間村俊一さんの句集の出版記念の会の折りに。そういえば、昨日の『種村季弘の眼』もこの『版と画の間』も間村さんの装幀だった。
by loggia52
| 2014-11-06 23:42
| 書物
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