カテゴリ
全体 Loggia/ロッジア 『石目』について ぼくの本 詩集未収録作品集 詩 歌・句 書物 森・虫 水辺 field/播磨 野鳥 日録 音楽 美術 石の遺物 奈良 琵琶湖・近江 京都 その他の旅の記録 湯川書房 プラハ 切抜帖 その他 カナリス 言葉の森へ そばに置いておきたい本 未分類 以前の記事
2023年 11月 2023年 10月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 more... フォロー中のブログ
最新のコメント
メモ帳
ライフログ
検索
タグ
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
かつて山本能楽堂でも、高橋睦郎さんもまじえて行われた同じようなイヴェントをぼくは見ている(聴いている)のだが、この試みはやはり新鮮! 建畠晢という詩人の出自の特異性。現代活躍している詩人は、その殆どが詩の履歴や、詩の出所をたどることができる。しかし、建畠晢の詩の拠ってたつ根拠はまったくぼくたちにはつかめなかった。だから、《余白のランナー》は衝撃的だった。滑稽やナンセンスの味わいをもちながら、その方法的なスタイルの新鮮さには目を瞠った。「あのエンジン、このニンジン」、「下痢のとまらぬ女」「カナリア、かなりあり」など、いままでの散文詩のスタイルにはない、どこか謹厳な書物の余白に書き込まれた哲学的な悪戯書きのような味わいに魅かれてきた。 建畠の詩には、いわゆる戦後詩的な足枷がはめられていない。草間弥生を世界にひっぱりだした感性と、ことばを思考の手段とするのではなく、表現の素材として眼差しをむける、その扱い方は、それまでの現代詩ではあまり注目されてこなかった。 また、建畠の作品は、潜在的に声に出して読まれることを欲している。表記のもつ視覚性だけではすりぬけてしまうものがある。「パトリック世紀」という作品もその一つ。 豊竹英大夫の義太夫の語りで、「パトリック世紀」を読むのだが、これが実におもしろい。《ことばが立つ》とは、このことをいうのかもしれない。目で追うだけでは気づかなかったことばの皮膚の肌理がくっきりと感じられる。ことばは、ゆっくりと間をつなぎながら、義太夫節の陰影を曳いて、音楽的な昂揚感さえしたがえて、最終連の終わり二行「パトリック! パトリック!」は、まさに「傾城阿波鳴門」のおつるの声音で激しく声を振り絞って高く発せられる。なんとも言えないおかしみがこみあげると同時に、この世界に対する生真面目な向き合い方に対する共感をも感じることができる。義太夫語りによっ作品の時空がずらされ、それがかえって、この世界への眼差しが、批評的な精度をたもちながら、きらめく比喩と新鮮なレトリックによって描かれていることがあきらかになる。 ちなみに、建畠と英大夫は高校の同級生。当時、二人は仲間とともに文学の同人誌をつくり、大夫はピエール・ガスカールにかぶれ、建畠は詩を書いていたという。 ところで、建畠さんとは久しぶりにお会いすることができたのだが、そのおりに、詩人で哲学者でもある篠原資明さんに紹介された。篠原さんとは神戸で一度お会いしているのだが、今回は立ち話だったが、いろいろと興味深いお話を伺った。とくに彼のいわゆる方法詩のお話。今はポスター詩集なるものを制作なさっているとか。これはぜひ拝見、拝読したいもの、ぜひ見せて下さいとお願いしておいた。 そういえば、篠原さんの方法詩は、新国誠一の系譜につながる詩的営為ということになるだろう。新国の展覧会は、建畠さんが国立国際美術館の館長をなさっていたときに催されたのを思い出した。
by loggia52
| 2015-03-14 21:50
| 詩
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||