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さて、前のブログで予告したように、『詩学』に掲載された、柄澤齊の高柳の詩についての批評の一部を掲げる。高柳への書翰の体で書かれた高柳論とでも言えるもので、「詩集成Ⅰ」に収められた作品宇宙を的確に捉えた一編。そのごく一部だが、引用しよう。 「私は以前、第一詩集『アリスランド』を手短に評して、〈ある観念の細密描写〉と書いたことがありますが、覚えておられますか。手に乗せた貝殻を指先でなぞるように、表層を隈無く回ることで内容の質量を暗示する、これが高柳さんの詩のテクニックです。卵や水晶といった堅牢な秩序を持った博物誌的イメージが、詩のモチーフとして多用されるのは、そこに理由があるように思われます。つまり高柳さんの詩において、言葉が構成するものは常に核ではなく、それを保存するための殻であり、保護するための外殻なのです。観念の結晶で緊密に象嵌されるより大きな結晶体を目指しているとも言い得るでしょうか。詩作の作業の実際は、組み木細工のパズルのように一つ一つのパーツを削り、組み合せてゆくことから始まるのだと思うのですが、逆に分解していっても最後に残るのは空虚だけという、あのゲームの法則にどこか似ているように思われます。しかしここで誤解しないでいただきたいのですが、私は高柳さんの詩が空虚だからだめだと言っているのではありません。それどころかこの空虚の表現こそ高柳さんの詩がもっている思想の核なのだとさえ思っているのです。なぜならば、それこそが私達の考える世界の構造なのであって、この現実の世界に張付いている様々な幻想を一つ一つ剥がしてゆけば、最後に残るのは空虚という名の核のみだという事実に、高柳さんの詩が示す世界が正確に対応しているはずだからです。集中力を駆使して、しかもその果(はて)におとずれる代償としてのこの空しさを味わうことこそ、高柳さんの詩のもたらす充足なのだとここでは言っておきましょう。」(「空洞のパズル」=『銀河の棺』所収)
by loggia52
| 2016-01-11 17:25
| 詩
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