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「ぼくを詩の世界へと導いたのは女性だった。 詩の遙か以前に、ぼくを言葉の世界へ導いた媒介者は、最初は、祖母であり、近所のふたりの老女であった。読み書きのできない祖母は、寝物語に浄瑠璃の『傾城阿波の鳴門』を毎晩のように語ってくれた。近所の老女からも、同じように「刈萱道心と石童丸」を聞かせた。幼年期に母のいなかったほくは、それらの不幸な浄瑠璃の少年少女を自らになぞらえて聞いた。また、拝み屋のばあさんの神降ろしを母の膝の上で聞いていた。 そのように幼少年期、詩に出会う以前の語りや歌や神降ろしの体験が、ぼくの詩の言葉の素地を作った。」 さらに詩を書き始めてからも、強い影響を受けた二人の詩人も女性だった。一人は片瀬博子、もう一人は多田智満子。 九州にいたころ、片瀬は、結核を患って療養所にいる高橋をよく見舞って、カソリック関係の文学をすすめた。命の頂点においてエロスとタナトスがむすびついた片瀬の詩の世界は高橋にはまったく新しい世界だった。その片瀬博子の詩を紹介しておこう。 抱擁 片瀬博子 かたくしまっている肉を おしひらいて 夜明けは あふれ入ってきた あの人は非常に優しく この上なく残酷にわたしをいそがせた それでいつも あの人は 精霊のように軽くなって 抱擁の途中で見えなくなるのだった わたしは石の酒槽(さかぶね)の中で 踏みくだかれる葡萄の山 背を光らせてうねりながら 橋の脚をぬらす真夜(まよ)の波 セロの流れの中ですれあう無数の金剛石・・・ ついにわななく光の弧であった 高橋睦郎の詩の世界にあるヘブライ的なるもの(キリスト教的なもの)は、片瀬博子の影響が大きい。 一方、もう一つ高橋睦郎が強い関心をよせる古代ギリシア的な世界は、多田智満子によって啓かれた。 高橋の初期詩集『薔薇の木 にせの恋人たち』が出たときに非常に好意的な批評をしてくれたのが多田智満子だった。彼は白石かずこの紹介で多田と出会い、彼女が亡くなるまで彼女に《姉事》することになる。多田智満子の初期の詩集『闘技場』(1960年)から紹介してみよう。 闘技場 Ⅱ 多田智満子 闘技場はゆっくりと相好を崩した 剣をまじえる二人をかこんで 立法者のように厳格な位階を保つ 階段座席が身をゆすった 石たちは互に共犯者の沈黙を守って ひとつひとつ脱け落ち 観客たちは眼を剥いたまま 両足を天にさしのべて墜ちていった ――輪郭を失った円盤が 風のなか禿鷹がそっとのぞきみると 二人とも顔がなかった 顔がなかった 闘技場 Ⅲ かつて多くの心臓が刺し貫かれた場処 いまは概念を積みあげた体系のように 環になって折り重なった石の骸(むくろ)しかない 空にむかって ひらかれたこの円型の廃墟 生も死もともに不在の・・・・ (姿なく嬉戯するエメラルドの小鳥) 自分自身への告別のかたちと化した 抽象の墓の内部を 今日もまた金色の陽光があらい清める 高橋睦郎さんの話は、さらに日本の詩の根源にまでさかのぼるのだが、それは省略する。 紹介なさっていた片瀬博子の詩は、新鮮だった。これはまとまったかたちで読んでみたい。 講演会には、ご高齢にもかかわらず、多田智満子さんのご主人が、娘さんと連れだっていらっしゃっていたことも忘れられない。高橋さんはことあるたびに神戸の多田さんのお墓にまいり、ご遺族とも親しくおつきあいを続けていらっしゃる。 もう一つ、二次会の席で、高橋氏が石牟礼道子さんのことをお話された。ちょうど、この夏から「苦海浄土」三部作、「椿の海の記」、「あやとりの記」と読み継いできたばかりのぼくは、とても興味深いことに思い当たった。それについてはまた。
by loggia52
| 2016-10-04 16:51
| 詩
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