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安藤礼二の「神々の闘争」は、折口論の柱に、「ホカヒビト」と「ミコトモチ」という二つの折口名彙を据える。従って、「マレビト」も二つの柱にまつわる「機能」を受け持つに過ぎない。 まず「ホカヒ」とは、「折口によれば、神の最初の顕現である『ほ』に由来する。『ほ』を語根とした動詞が『ほぐ』であり、又『ほむ』と言ふ形もある。ほぐが語根化して再活用すると、『ほがふ』となる。」「ホカヒビトの最初の定義とは、ホカヒという『言葉』とそのなかに宿る『霊魂』を取り扱う宗教技術者である、ということになる。」 つまり、「ホカヒとはまさに『言葉』に対する技術」であり、この場合の「言葉」は、「何よりも『力』であり、霊的な力の宿った流動的な『物質』なのである。」 「森羅万象すべてに『霊魂』の宿る世界。その中でも、最も強く言葉に『精霊』の存在を感じ取ることのできる感受性を持ち、部族の移動の歴史を、『神』の言葉、『神語』として携えてきた」のが「ホカヒビト」たちである。 安藤は、折口がこの「ホカヒビト」のイメージを、日本の統治下にあった植民地、台湾の「蕃族」に求めたということを論証していく。この「首狩り」を行う戦闘的な民族の霊魂信仰とその行為が、折口の「ホカヒビト」の像に決定的な影響を与えたという、ここが、この本の読みどころの一つ。詳しくはこの本にあたってほしい。 もう一方の「ミコトモチ」論の方は、折口の卒業論文である「言語情調論」を読み解くことから始まる。これはなかなか厄介。ここの読みどころは、この論が、富岡多恵子が「折口信夫ノート」で明らかにした夭折した宗教家、藤無染(ふじむぜん)を通して知ったオーストリアの物理学者、エルンスト・マッハの「感覚一元論」の強い影響の下に書かれたことを論証しているところ。ここからさらにフッサールの現象学やロシア・フォルマリズムやヤコブソンの詩論やと、こちらとしてはお手上げの話になっていく。要するに、折口の学問が、日本のみならず、当時の西欧の新しい思想や科学の思潮にも強い影響を受けていたことがわかる。 本題の「ミコトモチ」の方は、「ミコトモチとは、『神語』の『預言者』、文字通り『神の言葉を預かる者』としてあり、その神の言葉を伝達する『使徒』でもある。」ミコトモチとは、単純に言えば、「天皇」のことである。この「戴冠する預言者」を、安藤は井筒俊彦のイスラム神学に触れながら、折口のミコトモチ論が、イスラームの一神教と共振しあうことを指摘する。 このあたりにくると、少しこちらも疲れてきて、読み飛ばす部分もでてくるが、批評はこれくらいケレン味があったほうがいい。ただし、安藤は実に誠実な研究者である。新しい「光の曼荼羅」を今度は是非読んでみようと思う。 ちなみに、冒頭に述べた「真床襲衾」の天皇霊を受ける秘儀については、天皇が「ミコトモチ」となるところで出てくる。「復活のために繭ごもる君主。新たに生まれ変わり、この地上を統べる大いなる力を得るために、神聖な布にすっぽと包み込まれ、物忌みという長い仮死状態、待機のときを過ごす『王』。その華麗な変態を促すため、絶対的な外、天上なる神から、その至上の命令、力の源泉である魂が下される。云々」
by loggia52
| 2009-01-06 21:23
| 書物
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