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![]() 「この〈なりきる〉作業において一番重要な役割を果たすのは、仮面である。夢幻能で死者として現れる主役(シテ)はいつも仮面を付けており、生者を演じる脇役(ワキ)は仮面なしで演じる。つまり、シテは男なのに女の役を演ずると同時に、生きているのに死んだ者の役を演じる。役者とその役の間のこのふたつの大きな対比は、能舞台では、隠されているのではなく、むしろそれがよく見える仕組みになっている。能面はいわゆる〈本当の顔〉を隠す〈道具〉として使われているのではない。また、カーニバルやある種の現代演劇のように、顔を隠すことで身体の残りの部分を活性化しようとしているわけでもない。能面は、切り取られた死者の首のようなものではないかと思う。その首が、失われた身体を取り戻そうして、役者に取り憑く。身体のない死んだ女が、言葉を発するために、生きた男の肉体に取り憑いて、それを使用する。 シテが面を付ける楽屋は、鏡の間と呼ばれる。面を付けるという作業は、死者に一時的に身体を与えるという儀式的な性格を帯びてくる。面を付けたシテは、橋掛かりを通って舞台に至るが、夢幻能のシテに踏みしめられる時、この橋掛かりはあの世とこの世を結ぶ橋のようにも見える。」(多和田葉子『身体・声・仮面』) 能面を「切り取られた死者の首」と捉え、その「首」が失った身体をさがして過去を語るという、多和田葉子の能の見方がおもしろい。
by loggia52
| 2010-01-21 21:35
| 切抜帖
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