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新しい書物、『人、中年に到る』の冒頭は、「ふたりのグレン・グールド」。これがプロローグになっている。 グールドの2度のゴールドベルグの録音は夙に名高い話だが、最初の録音の時の22歳のグールドと、再録音を試みた50歳のグールド。短いプロローグは、後者の、「ひどく太って」「セイウチのよう」なグールドにスポットをあてる。その再録音のゴールドベルグの印象を述べたあとの、コーダの部分を。 「再録音のさなかにあって、グレン・グールドはすべてのことを了解していた。彼は自分の名声や栄光が無意味な虚妄であることを知っていたし、結局のところ自分が拘泥する演奏細部についても、大衆消費社会のなかでは蔑ろに扱われるだけだと予知していた。彼はもはや他者による批評に何も期待せず、自分の解釈の必然を本当に理解できる者は、自分の演奏に人生と同じ長さだけ間近に付き合ってきた自分以外には存在しないと知悉していた。 もっともただ一つ、彼が了解していなかったものがあった。それは自分がこの再録音の直後に、思いがけなくも急死してしまうということだった。」 もう一つ、最初の表題作のエッセイの冒頭に近い部分から引く。 「わたしがこれから書こうとするのは、他人という媒体、作品という媒体を経ることなく直接に向かい合ったわたしのあり方である。いかなる資料にも、いかなる書物にも相談することなく、徒手空拳のまま書くという作業に入ること。結論に到るまでの道筋など念頭に置くことなく、思いつくところから書き始め、みずからに心地よい逸脱を許すこと。因果関係にも論理的必然にも左右されることなく、平然と矛盾をそのままにし、筆法を偶然にまかせること。何となれば、人生とは、かつてゲーテが構想したものとは逆に、因果律もなければ絶頂も結論もない、ただの時間の持続にすぎないためである。」 今回は、読み終えた印象をあえて書くことはしない。いかにも、四方田犬彦らしいスタイルの書物だとだけ、それから、今までの彼の著書と同じく、読み終えるのが惜しいと思いながら読み、途中、幾度も読みすすのをがまんして中断し、すこしこちらが考え込む時間をとったということを添えて。
by loggia52
| 2010-10-17 22:35
| 書物
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