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さて、『賜物』の第4章が、「チェルヌィシェフスキーの生涯」という、主人公フョードルが書いた伝記作品になっている。チェルヌィシェフスキーという人物自体がぼくたちにはなじみの薄い人物なので、その予備知識がないことと、伝記自体の描き方が、通常の編年体(所謂19世紀的なリアリズムのスタイル)ではないので、訳注を参考にしながらの読書になって、難所となった。 しかし、『賜物』は、まぎれもない20世紀を代表する小説であると断言していい。それは「小説」というものの多面的な可能性と言えばいいのか、豊かさとでもいえばいいのか、ともかく、19世紀までの「小説」では、描き得なかった未知な姿を見せていることに魅せられたという意味である。具体的なことがらについては、訳者の沼野充義の解説や池澤夏樹の折り込みの栞に書いてあることの引き写しになるので書かないが、このような実験的な試みが600 ページ近くの大長編になるというのも驚異的なことだ。ナボコフと同年に生まれたボルヘスは、逆に短編の中に宇宙を閉じこめる実験的な手法を試みたことを思い出すが、そうしたラテンアメリカの文学も含めて、前衛であると同時に、文学作品としての完成度や精神の深度においても類を見ない作品が20世紀の小説の特徴である。 そういうことを思いながら、当今の日本の小説を見渡すと、実にそらぞらしい印象をもつのはぼくだけだろうか。第一に、長編でもあっさり読めてしまう。読みやすいのがよくないというのではないが、ことばに「もどり」のない文章がほとんどなので、読んでいる最中は快いのだが、読後がどうも物足りない。小説を読んだという気がしないのだ。小説を読んだというよりも、詩を読んでいるような印象に近い。 やはり、小説は読みにくい、わかりにくい、けれども何か、ことばやスタイルに「もどり」が付いていて、それにひっかかるとなかなか抜け出せないような魅惑がないと、ぼくなどには物足りない。学生のころにそういう小説ばかりを読んできた後遺症かもしれない。 (写真は、福武文庫版の『賜物』 大津栄一郎訳)
by loggia52
| 2011-01-06 00:29
| 書物
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