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はじめにあとがきを読んだ。 「ことばをかきはじめた時、それによって世界がもっとよくみえるとおもったが、ことばはただ光であるだけではなかった。それは曇り空のように、ひとつひとつをあざやかにみせながら、その全体に影をなげかけるものでもあった。 自分のかいたことばにまようこともある。それが別な発見のはじまりとなることもある。ことばのとどかないあちら側に真実があるとはかぎらない。かかれてしまえば、ことばは真実ではつくせない意味をもつこともありうるだろう。」 ことばの向こう側に「真実」があるとはかぎらない、書かれたことばに、「真実ではつくせない意味をもつこともあるだろう」ということばに胸をつかれる。 「よみかえすことは、かきかえることだ。メモを書き、かきうつし、かきなおす。自分に必要なのはそれだけだ。本のかたちになったことばは失われたメモ、他人にひろわれた紙片、もうかきなおすことはないが、どっちみち最終的なかたちにたどりつくことは決してない未完の断片なのだ。」 (高橋悠治「カフカ 夜の時間」あとがき) この本は、《メモ・ランダム》という副題がついている。高橋悠治のノート的な思考、文字通りメモ・ランダムが、彼の音楽を作り上げていることがよくわかる。書かれたメモは、その時の思考の痕跡であって、それ以上の意味はない。それは書き換えられ、かたちを変えていく、そのことばの運動が思考のリズムとなる。そのインスピレーションとことばの運動が実に刺激的だ。彼の音楽とことばとの関係は、非常に深い。というよりも、彼のみならず、現代音楽そのものが、ことばを挑発する属性を持っているのかもしれない。 もう少し、彼とことばとの関わりを書いている部分を引く。 「音楽のなかでことばの必要を感じたのは、一九六〇年にクセナキスにまなんで作曲の方法をコンピュータ・プログラムに置き換えているころだった。 数式化された音楽構造が何を意味しているのか、ことばで明確に定義するなかで、任意に選ばれた記号に過ぎない音が、抽象のなかでかってに増殖しないように、つなぎとめようとする。 そのことばは、イディオムなしの英語で、意味をになう機能しかもたない。作品のためのプログラムjノートも同じように、非日常化した音楽を解説するための、もう一つの非日常のことばだった。 一九七〇年代には、作曲のシステムや作品の意味のためではなく、音楽をすることの意味を考えるために、ことばが必要だった。 日常の活動を、一時停止して、その歴史的・社会的な意味を確認するために、ことばをつかう。それは、批判のことば、方法論のことば、イデオロギーのことばだった。論理のことばは、一つのものを選び、矛盾を認めない。ことばが方向を見つけ、目標への道を決めるなかで、ことばにさきまわりされた音が、貧しくなっていく。音は抽象論理をになう記号ではなく、歴史と文化のなかで意味づけされる。 それを伝達するのが音楽で、それは「いま・ここで」ではなく、、「いま、ここ」からの救済に向かう活動だった。いやあるはずだった。」(「音に向かって」) ここに言及されている七〇年代は、一柳慧、柴田南雄、武満徹らと「トランソニック」を組織して季刊誌の編集に携わっていたことを指しているのだろう。彼の批評的営為については、よく知られたことなので、ここでは措くとして、この六〇年代、七十年代のことばとの関わりとは別に、はじめに触れたような、「ノート」的なことばの出し方は、ずっと持続して続けられていたようだ。 「そのようなことばの使い方とは別に、自分用のノートがある。本からの抜き書き、音や「リズムの思いつきにそえたメモ、演奏のしかたについての走り書きなど。 ノートは最後のページまで使うことはなく、途中で放棄する。何年かたつと、別なノートにまた、同じようなことを書く。ここには蓄積がない。わずかな思いつきの演奏があるばかりだ。本からとった他人のことばも、姿を変え、意味を変えて、別なものになっていく。 このノートは、方法論のためだと、ずっと思っていた。だが、目標や方法を信じなくなったあとでも、やはりノートは続く。そこで、気がついた。これは、音楽の前の、朝の祈りのよううなものであった。 (同) この「音に向かって」というメモは、彼のこの当時の思考のありかた、音楽と世界や社会とのかかわりについて、ノートならではの切り口で語っているのが印象に残る。また「病気・カフカ・音楽」も、釘付けになる。
by loggia52
| 2011-03-09 22:08
| 書物
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