|
カテゴリ
全体 Loggia/ロッジア 『石目』について ぼくの本 詩集未収録作品集 詩 歌・句 書物 森・虫 水辺 field/播磨 野鳥 日録 音楽 美術 石の遺物 奈良 琵琶湖・近江 京都 その他の旅の記録 湯川書房 プラハ 切抜帖 その他 カナリス 言葉の森へ そばに置いておきたい本 未分類 以前の記事
2024年 04月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 more... フォロー中のブログ
最新のコメント
メモ帳
ライフログ
検索
タグ
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
![]() これはおもしろい小説。太平洋戦争のさなかにボルネオで失踪した民族学者、三上隆は、矮人族(ネグリト)を発見することに憑かれていた。その行方不明になった三上隆を探すために、彼の友人であった村上六三という人物が、戦後、捜索隊を結成したが、これといった成果もなく二度挫折している。小説は、前半部で、この村上六三の息子が、亡くなった父の書斎で、父の手紙を見つけ、そこにあった三上隆という人物に興味を抱き、父たちの捜索について語っていく。北ボルネオの奥地への三度目の父の捜索隊によって三上の存在の手がかりを得るが、北ボルネオからの行方はまだ不明のまま。語り手であるわたしは、さらに捜索隊の一人であった出水という人物が残したノートと録音記録を突き止めるのだが、そこには、出水が大塔山系の熊野の森で三上と出会ったことが描かれていた。つまり、三上は、ボルネオから、矮人族を求めてマレー半島へ渡り、そこから北上して雲南、チベットへと旅を続け、果てはチベットからラマ僧の法力によって、三上の故郷の大塔山系の熊野の森に飛ばされるのである。そして、なんと彼の求めていたネグリトは、その森にも存在していたことが記されていた。 しかし、物語はそこで終わらない。出水の残したものは、果たしてほんとうのことが描いてあるのか、彼の幻想なのかは不明のままである。クライマックスはここからで、いよいよ村上の息子である語り手自身が、三上を求めて、チベットへと向かうのである。そしてその顛末は・・・。 かなり入り組んだ冒険譚だが、虫好きのぼくをうならせたのは、矮人族の村へ導くとされるのが、森のチョウ、ミドリシジミで、三上は熊野の大塔山系で初めてキリシマミドリシジミの♂を捕獲した昆虫少年という設定になっている。実は三上隆にはモデルがいて、昆虫採集を囓った者にはよく知られた博物学者、鹿野忠雄だと言う。彼は台湾の昆虫や民族調査で有名だが、終戦間近に、北ボルネオで消息を絶ったまま今に至っている。消息を絶ったのは三八歳の時。 あらすじを簡単に記したが、実はこの小説は冒険譚には違いないが、和歌山の毒入りカレー事件(出水はその犠牲者の一人ということになっている)や、チベットにおけるダライ・ラマと中国共産党をめぐる確執にアメリカのCIAが絡んだ歴史的な様相についても踏み込んだ言及がされており、力の入った意欲作だと思われるが、いささか消化しきれない印象をうけてしまうのはぼくだけだろうか。 辻原登の物語の原型はやはり、芥川賞受賞作の「村の名前」にあるような気がする。あの桃源郷のパロディの物語の醸していた懐かしさは、この小説で矮人族の村を求める三上の思いと重なる。その懐かしさのことを、この小説ではsaudade《サウダーデ》というポルトガル語を使って説明している。 「(サウダーデということばは)多国語には訳せない。心象の中に、風景の中に、誰か大切な人が、物がない。不在が、淋しさと憧れ、悲しみをかきたてる。と同時に、それが喜びともなる。えもいわれぬ虚の感情・・・」 「サウダーデ」は「サウダージ」とよく表記されるが、ポルトガルの歌謡ファドの根幹にある情調だ。ここで幾度か書いたファドの優れた歌い手松田美緒の歌ではおなじみのことばだ。
by loggia52
| 2011-04-14 00:47
| 書物
|
Comments(3)
|
ファン申請 |
||