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考えてみれば、大きな結節点にぼくたちの世代は立たされている。ぼくなどは、その影響をもろに受けている。自分 の作品が長くなったのは、やはり、キーボードを叩くようになってからである。推敲が容易にできるようになった。書き直すことが苦ではなくなった。書き直す ストレスの解消は大きい。しかし、それによって喪われる部分もそれ以上に大きいこともわかっている。 手が文字を書き付ける負荷による時間のこと。イメージを追いかけるとき、文字を書き付けていると、それに追いつけなくなる。キーをたたくほうがぼくの場合、遙かに早いので、書き付ける負荷を減らして、イメージを追いかけるエネルギーにそれを使うことができる。 ただ、はじめあったイメージが、書き付ける速度に合わせて変容していくことも、棄てがたい魅力ではある。 だから、ぼくの場合は、まずノートになめらかなタッチの太めのボールペンでメモをとるように書いていくことから始める。最初はできるかぎり、丹念にイメー ジを育てていく。そのための時間は、「書き付ける」方が有効だ。イメージはまだ方向性も定まらず、ぐずぐずと不定形にうごめいているので、それとうまくつ きあいながら書いていく。 あるていど、流れができたら、あとはキーボードをたたいていく。今度はスピード感をもって、ことばを紡いでいく。この ころになると、作品の力が、おのずと働いて、それの示すとおりにキーをたたいていけばいい。要するに、離陸するための飛翔力をつけるためには、どうしても ぼくの場合、ノートにボールペンで書き付ける必要がある。紙とペンのアナログ的な道具を、これからも手放すことはないだろう。 「雨の音」という作品は、ノートに走り書きされたパートをたたき台にして、キーボードで一つの作品にしていくことを、きわめて意識的に行った。《キーボードを打つ》という即物的な行為をたえず意識しながら、ことばを追いかけてできた作品である。
by loggia52
| 2011-07-29 22:15
| 詩
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