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![]() ![]() ヴェネツィア市民たちの想像力は、「文学に発揮されることきわめて少なかった」。それは「ヴェネツィア人の言語の才はもっぱら外交交渉の機微にあてられて終わり、まちの景観をうたいあげたり、そこに暮す人々の心理の満ちひきをつづる方は、頼まずともペンを片手におしかけてくる外国の詩人や作家たちにまかせ切りにしてしまったかにみえる。」と皮肉まじりに前置きしたあと、それにひきかえ、ここには絵と音楽に満ち満ちていると書き出し、ヴェネツィア絵画について触れているのだが、ここに矢島さんの美意識ははっきりと打ち出されている。 たとえば、ティントレットに対する嫌悪感は尋常ではない。 「困ったことにティントレットの絵は、私にとっては、現在のヴェネツィアにはまことに似つかわしくない、荷厄介な遺産としか思えない。」と述べたあと、延々と具体的な彼の作品をとりあげながら、不快感の根元を探していく。 「その絵の大群は、まち自体の栄枯盛衰にはおかまいなく、強烈な自己主張を続けている。その絵は、静穏であるべき老年がふり払いかねている壮年の思い出のように、ヴェネツィアの風景のそこここに、不調和にはめ込まれている。」と。次に、彼の絵が多く掲げられたサン・ロッコ同信会館については、「そして特に、スクオーラ・ディ・サン・ロッコから、ある日突然、ティントレットの絵がそっくり姿を消してしまったら、ヴェネツィアの老年はもっとかろやかに、もっと晴れやかになるだろうに!」とまで言う。 もう少し、ティントレットに対する不快感を記しているところを。 「数あるティントレットの絵のなかでも、特に私を憂鬱な思いにさせるのは、サン・ロッコに入ればまず目を惹く『受胎告知』である。これではまるで、天上のペンタゴンが計画した奇襲作戦ではないか。過ぎしヴェトナム戦争の北爆さえ思わせる。聖霊の鳩がレーダーとなってマリアの位置を教え、大天使ガブリエルと無数の小天使が編隊を組んで、田舎家にただひとりいる処女の頭上に襲いかかる。暗い画面からは、ほとんど爆音に近いはばたきがひびいてきそうだ。」 「天上のペンタゴンが計画した奇襲作戦」とは恐れ入る。(これは上野千鶴子さんも指摘しているように、矢島さんの比喩は抜群におもしろく卓抜である。) しかし、ティントレットに対するこうした不快感の吐露だけで彼女の文章は終わらない。醍醐味はここからである。 「処女懐胎がどんなに人智を越えた神秘であるとはいえ、信徒を承服させるための絵画的表現にこれほどの誇張が必要であったとすれば、十六世紀末のゆたかな市民たちの信仰は、たしかに衰弱していた、と言わざるを得ない。ほぼ一世紀前の、フラ・アンジェリコやピサネッロの『受胎告知』における、もの静かで無性的なガブリエルの訪れでは、描く者たちにとっても見る側にとっても、もはや十分とはいえなかったのである。」 ティントレットの絵を通して、十六世紀末という時代がほの見えている。 このように、自らの美意識をしっかり主張しながら、ヴェネツィアという都市をその歴史の層にまでさりげなく踏み込んで浮かび上がらせる。その際、胸のすくような彼女の比喩の巧みさが大いに効力を発揮するのもこの文章の特質であろう。 ティントレットの『受胎告知』に描かれたマリアについて、矢島さんの卓抜な比喩の一つを掲げて今日はおしまいにする。(つづきはまた) 「多くのマリアたちの美しい自己放棄の表情に比べて、ティントレットの絵のなかの、頑丈な農婦のようなヒロインの驚愕した顔は、みにくいとさえいっていい。いや、彼女は次にはふとい腕を伸ばして、小天使のひとりやふたりぐらいは、はたき落してしまいそうだ。」
by loggia52
| 2011-08-19 21:30
| 書物
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