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鶴田錦史が琵琶の世界をいったん捨てたのは、同年生まれの琵琶奏者、水藤錦穣の出現に拠るところがおおきい。「さわり」において、この《美貌の宗家》水藤錦穣の人生が、鶴田錦史の人生とデュオを奏でるように描かれている。水藤錦穣の生涯もまた、琵琶という楽器の趨勢とも絡んで、悲しい人生の機微をふくんでいる。養女に行った先の養父の子を宿し、表向き養女でありながら、事実上の養父の妻の役割を強いられ、生まれた子にも引き離される。 彼女の芸について、筆者は次のように書いている。 「十三歳で水藤枝水の養女になってからは『寡黙で神秘的な美少女宗家』というキャラクターを演じるように強要され、笑うことすら禁じられていたという話だった。(略)水藤錦穣の芸は、天賦の才ではなく、壮絶な人生経験と血の滲むような努力の賜物だった。浄瑠璃、常磐津、長唄、端唄、浪花節から歌謡曲まで、あらゆる邦楽を研究し、琵琶になかった節や手を数多く取り入れた。錦穣は博識だったが、教養をひけらかすことはなかった。琵琶人気が廃れてしまった戦後、副業も持たずに、『琵琶一筋』で家族や内弟子たちを養うのは、錦穣ですら、かなり厳しかった。絢爛たる輝きを放つ舞台姿は、他の女流琵琶師から『さすがは天下の水藤錦穣、あれほど素晴らしい着物を何枚も持っているのかしら』と羨望の的だった。実際は、舞台で着た着物は質草に入れ、その金で別の着物を質屋で買い、また質草に入れる”自転車操業”だった」 こうやって二人の琵琶師の人生を眺めてみると、明治生まれ、大正育ち、昭和前期の日本近代の光と影の強烈な陰影を際立たせた時代がくっきりと浮かびあがってくる。琵琶という楽器のたどってきたそのような陰影のある響きが、武満徹によって、《現代》へと引っ張り出された。そんな印象を持つ。
by loggia52
| 2012-02-04 19:52
| 書物
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