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1981年、ルクセンブルグ生まれとある。ヨーロッパを中心に活躍している若いピアニスト。 タイトルにあるようにヨハン・セバスチャン・バッハの第1番のパルティータ(変ロ長調 BWV825)のあと、ジョン・ケージの《ある風景の中で》、と《四季》が続き、そのあと再びバッハの《4つのデュエット》、ケージ《南のエチュード 第8番》と続く。 冒頭と後の方に、トリスターノ自身の小さな曲が配されている。演奏するだけでなく、音(楽)を作り出すということにも意識的な一枚。CD全体を一つの音楽世界として送り出すということだろう。 ケージといっても、1940年代の作品、《ある風景の中で》などはびっくりするくらい叙情的でポエティックな旋律。《四季》も40年代に意欲的に書かれたプリペアドピアノのための作品だ。 バッハはグールドを思わせる歯切れの良いタッチが印象的、決して昂ぶらず、適度なグルーヴ感、才気を感じさせるピアノだ。時にメカニカルに音の粒をもてあそび、音のつぶてをはじけさせたりする。おもしろいのは、バッハのほうが現代的で、ケージの音楽がそれ以前の音楽にふと聞こえたりする時があること。とくに、おしまいの《フランス組曲》のメヌエットを電気的な処理をほどこして、木漏れ日が風にちらちらと揺れる葉影と戯れるような淡い掌編の余韻を引いて終わるところは実にいい。 バッハもケージも違う時代の音楽ではなく、《今、ここ》の時間と空間でなっている音であり、音楽であるという主張が、最後のこの小さな音の粒が教えてくれる。バッハでもケージでもない、バッハケージの音楽。 それにしても、こういう音楽は、バッハの音楽でないと実現できないことのような気もする。ケージと、バッハ以外の音楽の組み合わせでは果たして可能かどうか。 また、ケージのピアノ曲だけのCDであれば、こんなにおもしろく聴くだろうかという気がする。音の粒や音のつぶてが、バッハとケージの音楽を往還するおもしろさを楽しむべし。
by loggia52
| 2012-02-22 23:05
| 音楽
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