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「平家物語」によれば、須磨一ノ谷の合戦の前に、都から一ノ谷に向かう途中の義経軍は、丹波から播磨へ入り、南下して須磨へという経路をたどるが、その丹波と播磨の国境に三草山がある。あたりは平氏の荘園だった関係で、平家が陣を構えている。そこで三草合戦がおこるわけだが、合戦といっても義経軍の一方的な勝利であっけなく終わる。というのも、義経は夜討ちをしかけ、あたりの農家に火を放ち、「是をはじめて、野にも山にも、草にも木にも、火をつけたれば、昼にもちつとも劣らずして、三里の山を越え行きにけり。」(平家物語・三草合戦) これに慌てた平家軍は、猛火に驚いて源氏の大軍とでも錯覚したか、夜討ちに何の抵抗もせずに敗走する。「源氏は落ち行くかたきをあそこに追つかけ、ここに押しつつ攻めければ、平氏の軍兵やにはに五百騎討たれぬ。手おふものども多かりけり。」(同) ちなみに、愛読の杉本秀太郎の「平家物語」では、ここで秀太郎節が挟まる。すなわち 「義経というもののふは、放火を常習としていたとみえる。放火された在家すなわち民家の人々は、住む家も家財もたちまちのうちになくして、にげまどうばかり。もののふは平然とこれをながめて打過ぎる。私はこの小野原の在家の難ひとつのことで、義経に好意を抱きかねる。あるいは多少の好意も風になびく不二の煙のごとくに消え失せる思いを味わう。」(杉本秀太郎「平家物語」巻九) さて三草山だが、今回は下見。午後から所用があったので、山頂までは行かず、途中で引き返すにとどめる。 木々の芽吹きへのあゆみは順調。 「平家物語」三草山の合戦を引用したのは、実は三草合戦の日が旧暦2月4日のこと、今年で言えば、ちょうど先週末のこの登山の日にあたる。冷たい風が木々の枝を吹き抜けてすさまじい音を鳴らすような天気で、寒々としている。杉本氏ではないが、火を付けられて焼け出された小野原の農民たちのことを思うと、義経や憎しである。
by loggia52
| 2012-03-01 22:20
| field/播磨
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