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建築家である村井俊輔を「先生」と呼ぶ若き建築家の「ぼく」が、その尊敬する先生の事務所に採用され、そこで働くことになる。その村井設計事務所は夏の間だけ、北青山の事務所を離れて、北浅間の古い別荘地にある「夏の家」で仕事をする。「ぼく」が採用された年、村井設計事務所は、国立現代図書館のコンペに参加することになり、「夏の家」では、そのコンペに向けての仕事が本格的に始まろうとしていた。 そんなところから小説ははじまるのだが、読み出したらやめられなくなった。雑誌(新潮7月号)の小説など、読み通したことはなかったのに、まして650枚という長編。デビュー作と銘うってあるが、『考える人』の前の編集長だった人。 心地よく小説の世界にたっぷりと浸ったという点ではマーセル・セローの「極北」と同様だが、小説のスタイルが全然ちがう。後者は、プロットの展開から緊張感をはらみ、どこへ運ばれていくかわからないという胸躍る近未来小説にして、環境や現代文明への問いかけをもひそめた野心作。一方、「火山のふもとで」は、プロットはおとなしく、特別に大きな事件に盛り上がることもなく、だいたいの結末も予想のとおりに運んでいく。静かで、たんたんと筆が運ばれていくのだが、それでいて、決して飽きさせない。ぼくは二日で、二日目はこの小説のために終日家にいて読み終えたくらいだから、小説を読ませる力は尋常ではない。これがデビュー作というから驚きである。 それにしても、こういうオーソドックスな小説は、名の知られた熟練の小説家は別として、最近はあまり読んだことがない。「ぼく」と「先生」の構図は、夏目漱石いらいの伝統があり、建築を巡って繰り広げられる話題の妙も、辻邦生の芸術家小説をふと思わせる。なによりも、小説で描かれる人々や彼らの属する社会は、いわば明治以来の近代知識人の精神的末裔たる知的ブルジョワの世界である。音楽も料理も建築論も、みごとに理路整然とよどみがなく、小説の枠組みにきちんと落とし込んでいく。この小説に物足らないものを感じる人は、おそらくそういう部分が原因しているのだろう。 そういえば、この小説は、いったい何を伝えようとしているのかという点にしぼってみると、それが判然としない。「先生」に出会うことによって、「ぼく」が精神的な成長を遂げたというのではない。なぜなら、現在の「ぼく」は、彼自身のこれまでの人生にたいしてどこか醒めている。「先生」への敬愛はもちろん変わることはないが、自分の人生と「先生」のそれを重ねるという思いは全くない。「先生」とその周辺の人々が醸していた空気への強い思いだけがひしひしと伝わってくるような小説だ。 言ってみれば、「先生」を中心とした知的文化圏の空気、あるいは、北浅間の別荘にながれている一昔前のブルジョワ文化に対する懐旧、といっては言い過ぎかもしれないが、バブル経済前の日本に生まれていた「先生」とその圏域につつまれた知的で文化的で、みずからの精神性がごくあたりまえに人々の日常に影響を及ぼしていた社会への懐旧が、今の日本の社会が忘れてしまった大切な何かを呼び覚ましはしないだろうか、というのがこの小説の動機になっているのかもしれない。少なくともぼくはそういう文脈で読んだ。 ちなみに、「先生」=村井俊輔は、吉村順三、コンペをあらそう舟山圭一事務所は丹下健三、そして、北浅間の別荘に暮らす老女が野上弥生子というモデルの設定になっているらしいが、その村井設計事務所に勤める「内田さん」は、吉村の設計事務所に勤めていた中村好文のような感じがするが、これはぼくの感想。違っているかもしれない。 さて、この小説はおそらく、新潮社から本になるだろう。たぶん、本になったら買うだろうな。新潮社の装幀室は、さてどんな本に仕上げるか、今から楽しみ。
by loggia52
| 2012-07-26 22:46
| 書物
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Comments(1)
Commented
by
ひでくんママ
at 2012-10-31 08:07
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はじめまして。
松家氏の「火山のふもとで」、昨夜読み終えました。これほど充実した小説はめったにないですね。 私は建築のことは何の知識もなくて、ただただ作者の該博さに恐れ入りました。 どんな些細なこと(モノ)にも、きちんと固有名詞を充ててくる姿勢は、編集という仕事をされてこられた人の習性かしら? 「一昔前のブルジョワ文化に対する懐旧」というご指摘、言われてみればそうか・・・・でも、私の生まれた頃のことは理解が難しいです。 後半になるにつれ、文章が柔軟になってくるようで助かりました。不満といえば、麻里子から雪子への心移りをもう少し丁寧に描いてほしかったです。あと200枚くらい増えても良かったのに。 些細な疑問をいえば、ブラームス / ピアノ協奏曲第1番を聴くくだり、「秋の日差しのようにどこかに寂しさをふくむ曲がスピーカーから流れ始める」(79頁)。 あの怒涛のような始まりを、私は、そうは感じません。コンチェルト第2番の冒頭なら、それなら解るのですけれど。 梨木果歩さんの『雪と珊瑚と』も素敵な作品でしたが、それを超える内容だと思っています。
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