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演題は『柳田國男の福崎』。池内さんはこれも隣の姫路市出身。地元である姫路、あるいは播磨、播州に今も親しい愛着を感じていらっしゃることは以前から知っていた。、ご自身の著書で、略歴が記される場合には、「兵庫県姫路市生まれ」と「姫路市」を必ず入れてもらうようにしているという話もうかがった。 さて講演だが、池内さんの講演は話芸にちかい。同じ姫路出身の桂米朝の雰囲気とどこか似ている。やわらかい播州訛りで、マクラを一くさり。柳田國男が12歳まで過ごした辻川の集落を歩いた時の話や、講演の前に、ひとりで隣の北条(これはぼくの住む町)にタクシーで行って五百羅漢を見てきた話をなさったが、ここからすでにおもしろい。 本題を要約すれば、池内さんは、柳田國男の辻川での少年時代が、自分にとって実に懐かしく、共感を覚えるという。そのひとつは市川のこと。福崎を流れる市川の下流に姫路市がある。柳田が思い出に語る市川の話が、ぴたりと池内さんの少年時代の市川の思い出と重なる。 また、柳田國男の兄弟、国文学者の井上通泰、画家の松岡映丘、海軍の軍人で言語学者の松岡静雄、医師の松岡鼎、この5兄弟と、池内紀の母親の兄弟、すなわち伯父さんたちの境遇が似ていること。長男は姫路師範を出て家を継ぎ、次男はこれも師範学校を出て北条に養子に、三男は岡山の医大を出て竜野の医者の養子に、四男は、姫路の商業学校を出て、姫路の商家の跡取りに、五男は京都の帝大を出て軍医になり、後に奈良で医者を開業、六男は、龍谷大学を出て東大寺の塔頭に入り、後に管長となった清水公照。 池内さんの母方の兄弟は、柳田の兄弟と同じように、長男は医者でありながらその書でも有名であったし、三男は小説を書き、五男は戦後に、軍医としての経験から、日本の軍部の科学的な知見のなさを告発した書を上梓したり、六男の清水公照は言うまでも無く、書にも文にも通じた僧侶というように、松岡兄弟の境遇と重なる。 池内さんは少年、青年時代に、こうした個性的なおじさんのところに、居候をしてかわいがられたという。その時に、おじさんたちが、自分たちを柳田兄弟になぞらえていたようなふしがあるように思われたという。 さらに、もう一つ、池内さんんが柳田國男に共感を覚えるのは、柳田が描く世界が、自分が育ってきた姫路での生活とほとんど変わらない空気を持っているということが挙げられる。氏が言うには、柳田國男が辻川で過ごした少年時代と、池内さんが過ごした少年時代とほとんど変わらないということ。昭和30年代までは、柳田國男の少年時代にあった共同体のありようは、ほとんど変わっていない。30年代後半から、日本の社会はそれまでの共同体のしくみやありようが劇的に変わっていく。所謂《所得倍増政策》によって、『儲ける』ことが、あらゆるものに優先するという価値観が台頭する。それまでは、柳田の時代とほとんど社会の共同体的なしくみは機能していた。 印象的だった池内さんのことば。『ここに集まっておられる方々は、わたしと同年代あたりの人が多いようだが、わたしたちのなかに、どこか小さな柳田國男を持っていると言えるのではないか。』 『柳田国男の少年時代は、辻川という小さなエリアで展開されたわけだが、その小さな円は、彼の大きな学問の中心の軸にあたる。ここから柳田の学問のすべてが始まり、柳田の学問は、さいごにここに戻ってくる。そういう辻川の少年時代のなかに、柳田民俗学の核があり、それは、わたしたちの生きている播州での少年時代の記憶と深く重なり共感を覚える。』 池内さんのさいごのことばは強くこころに残った。 『日本は非常に豊かになったが、幸せにならなかった国だ。これほど豊かになって、これほどしあわせにならなかった国はめずらしい。われわれは、非常に大切なものを、豊かさという名でうしなってしまた、あるいは忘れてしまった。』
by loggia52
| 2012-08-06 00:33
| その他
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