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印象に残ったことを少しメモしておきたい。 『雪国の春』は、大正8年に 、貴族院書記官長を辞任して、朝日新聞の客員となってまもなく、翌9年の夏から秋にかけて東北を旅したときの紀行を柱として書かれている。その中で、まずぼくの印象にのこったのは「草木と海と」の一文『槲(カシワ)の林のこと』である。 カシワの林といえば、ハヤシミドリシジミがぼくなどにはすぐに思い浮かぶ。但馬の山間部にカシワの林が広がっていて、このチョウを見に行ったことは、ここでも書いた。樹高はそう高くない。海岸砂丘や火山地帯の痩せた土地にも適応した樹種で、柳田国男によれば、北海道の平野は到るところ「此木を以て蔽はれて居た」が、開墾が進み、それらは全て伐られてしまったという。それでも、石狩海岸などには、今もその海岸砂丘に接して延々とカシワ林が続いているらしいことは、そこがハヤシミドリシジミや、キタアカシジミの有名な産地であることからも聞き知っていた。 柳田が書いているのは、下北半島の海岸砂丘に残るカシワの純林で、その風景のさびしさと美しさにうたれた彼の心境がよく文章に残っている。少し長いが引用する。 「秋の初めの頃であつた。自分は尻屋崎の燈台を見て後に、山を越えて尻労(しつかり)の昆布採る浦に泊り、翌朝は姉弟二人の小童を案内に連れて、猿ヶ森といふ部落を見に行つた。路は南へ三里余の平地であつたが、日の照る午前十時前後なのに、終に一人の通行者にも逢はなかつた。密林の端に小川が流れ、それ を渡つて曲ると俄に明るくなつたので、心付くとそこは槲(かしわ)の林になつていた。その樹の大きさも葉の様子も、とんと東北でよく見る高桑畠の通り で、今にも其辺から狗(いぬ)の声、鷄の羽音がするかと思ふやうであつたが、勿論幾ら行つても家も畑もなく、その淋しさは山中以上であつた。 海はこの辺では広大な砂浜を隔てて居る。槲林のはづれには小さな沼が、幾つともなく一列に繋がつて居た。沼の岸を通るときには却つて心付かなかつたが、 それはことごとく昔の海の断片であつた。地図の上で見るとよくわかる。これから南方の小河原沼にかけて、曾ては一帯の長い潟であつたのが、砂に押し付け られて萎縮して行くものと見えた。午後にこの猿ヶ森の村を辞して田名部に戻らうとする村境の峠の上から、今一度振り返つて東の浜を見た時には、こんな寂し い又美しい風景が、他にもあるだらうかと思ふやうであつた。見渡す限りの槲の林に、わづかの村里などは埋れ尽くして居る。切り揃へたやうな緑の平面の外 には、白々とした砂浜が横はり、外は大洋が荒れ狂うて居る。之とは反対に内側の、槲の林との堺には一列の静かな小沼が、譬へばエメラルドを緒に貫いた ごとく、きらきらと光って居た。絵にかくとしたら剰りに単純な、松にも巌にも縁の無い風景であつたが、自分としてはいつ迄も忘れ得ない。」 『槲の林のこと』 この風土の「寂しさと美しさ」というのが、『雪国の春』の通奏低音を奏でている。東北という風土が柳田にもたらした、深い寂寥感は、収録された文章の端々にこみあげている。人を押しつぶしてしまうような自然、あるいは、人がいないのが当然であるかのような自然の中で人が生きているというところからくる寂寥感とでも言えばいいか。それゆえに、後で書こうと思うが、名も知れない寒村の盆踊りに、彼は深くうたれもするのだ。 ところで、この印象深い、エメラルドを緒に貫いたような小沼の続く海岸のことについて、どこかで目にした感じがして、今探しあてたのだが、それは、赤坂憲雄の『漂白の精神史-柳田国男の発生』の冒頭に近いところにこの文章が引用されていた。赤坂氏は柳田が旅したこのあたりを訪れ、「何もない、ほんとうに寂寥感漂う風景が行けども行けどもひろがっていた」と記しているが、猿ヶ森の砂丘や、小さなエメラルドの沼の風景は、あたりの海岸線一帯が、防衛庁の弾道試験場になっているために、のぞき見ることもできなかったということだ。「道路ばかりが美しく整備されたかわりに、柳田が忘れがたいものとして語った「寂しい又美しい風景」は、まったく奪われているのだった。」と書き留めている。
by loggia52
| 2012-08-22 21:55
| 書物
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