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宇佐見英治の『雲と天人』を読んでいたら、「蛇」についてのエッセイに行き当たった。 箱根の登山鉄道に乗っていると、自分が蛇の体内にいるような不思議な感覚を味わい、「蕭条とした山野を」「一匹の蛇となって走っている」という感じがしてくるという話から始まって、「蛇は人間の無意識の最も重要な古態である」としながら、新幹線に乗るときに感じる一種の反感もしくは嫌悪感(宇佐見さんはいつも感じておられたらしい)は、「数万年来、大地の魔王であった蛇に対する遠故以来の畏怖と戦慄の感情に根ざしている」と考察するところまでが話のマクラ。 本題に入って、「日本書紀」その他の神話を引いて、三輪山の神が蛇に化身して現れるというエピソオドを引用している。その一つに、天皇が三輪山の神を見たいというので、それを捕らえさせた。捕らえられた神は『其の雷(かみ)虺虺(ひかりひろめ)きて目精(まなこ)赫赫(かがや)く』というようなものだった。「雷」とは「蛇」のこと、「虺虺」とは「雷鳴のごとく閃く」という意。 この精気に満ちた『日本書紀』の蛇の表現に宇佐見は着目し、「雨と水の神、河の神、海神」である三輪山の神が、蛇であろうという想定を肯定するところまでが、本題の前段。 実は、宇佐見英治の真骨頂はここからで、新幹線などの列車を蛇になぞらえるイメージをさらに発展させて、日本家屋における《棟》というのが、《蛇》の思想と関連があるのではないかというまことに意表を突く後段を提供している。《棟》には蛇の威霊が籠められているというのである。 「私が日本の棟をみるとき書字の一の字を思うのは、こうした追憶(小学校の時に習字の最初に一を教えられた時のこと※引用者註)のためでもあろうが、翰墨の国から渡来した棟瓦や鳥ぶすまや大棟がつくる棟の形状には漢字の書法に通じるものがある。棟は先にも述べたように単に桁や軒端の線に平行な屋根の水平線ではない。寺院の棟は通例左右の両端に鴟尾や鯱(シャチ)を立て、民家の棟は鬼瓦を据える。この鴟尾や鬼瓦による棟の強調は棟が屋根の中心であるばかりか霊気の通うところであることを示している。それは万象の始まりであるとともに一切の根源である漢字の一であり、一即一切、一切即一、あらゆる差別対立を帰趨する一無窮であるという黄老、禅家の観念を具象化している。」 《棟》には蛇の精気や威霊が込められているということらしいが、宇佐見はその例証として、唐招提寺の金堂や、厳島神社、さらに蓮華王院(三十三間堂)の棟をあげている。日本建築の粋を集めた建物の《棟》に蛇の霊異を嗅ぎ取る彼の散文の醍醐味はぜひ本文で確かめてもらいたい。
by loggia52
| 2013-01-05 00:55
| 書物
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Comments(2)
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