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それにしても、播磨やこの当尾の石の仏の印象はきわめて似ている。というよりは、信仰のスタイルがほとんど同じであるように思われる。路傍にあること、レリーフの方法も素朴で、彫られている仏像も阿弥陀、十一面観音、地蔵尊などでも共通する。この当尾に限らず、次の日に訪れた飛鳥地方でもそうだが、石の文化圏として大和と播磨は同じような文化の土壌をもっていたのではないかと考えている。石の文化の担い手は、石組や石垣に長けた石工集団である。近江の穴太衆のようなものも含めて、巧みに巨石をあつかい、鑿で細工をほどこす職人たちの存在が考えられるだろう。専門的な仏師ではないが、おそらく起源をたどれば半島からの帰化人にまで行き着くのだろうが、そういう開明的な石の技術集団と、地域にすむ人々の宗教的な共鳴作用を想像してみる。 浄瑠璃寺から岩船寺への途は、野の仏たちを見つけながらの楽しいトレッキング。風景もこちら播磨の奥と変わらない。柿の木があり、クヌギなどの雑木林。途中に甲高い機械音のような音がするのに気づいて、見上げると、竹藪でコゲラが竹をつついているのだった。こちらでも、あちらでも、まるでぼくたちが道を行くのを見て、会話を交わしているようでおかしかった。 しかし、岩船寺を訪れると、やはり仏教文化の分厚さが、奈良の近くと、畿内の辺境とではちがうことを実感する。山深い寺ではあるが、安置されている仏像がいい。像高三メートルという阿弥陀如来座像。ケヤキの一木造りだという。墨書銘から西暦946年制作とのこと。ほのぐらい堂内に座して、しばらく二人でながめている。僧侶のなさるお話も心地よくきこえる。堂の左奥に、これもなかなかすばらしい仏像を見た。普賢菩薩騎象像と呼ばれる、白象に乗って坐す普賢菩薩。こちらは阿弥陀如来にくらべて実にほっそりとスマートで何とも優美でほれぼれするようなお顔だちで合掌なさっている。藤原時代の作で、阿弥陀如来とともに重文に指定されているとのこと。そうそう、この普賢菩薩は僧侶のお話では、辰年、巳年生まれの守護尊なのだそうだ。境内にも十三重の石塔や、鎌倉期の重量感のある五輪塔などがあっておもしろい。写真はface bookに掲げてあります。 おしまいは、岩船寺門前にある無人の販売所。いろとりどりの漬け物が提げてある。
by loggia52
| 2013-01-16 22:10
| 奈良
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