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しずかな抒情のうねりに引き込まれてしまった。ことばは無意識のうちに、この抒情のドームのために選ばれ、むしろあまりに調和的な和声のゆえに、ことばが上滑りしてしまうよう危うさを感じるほどだ。この美しさはしかし、ある種の抒情詩の持つ過剰な情感に持ちこたえられないことばとは、はっきりと違う。ことばが物語の心棒に貫かれているからである。 この詩集には一つの物語が底流にある。その物語の深い意味あいが、通奏低音のように諸編の抒情を支えている。おそらく、別れ、もしくは死と、生きることへのある種の恢復、再生の物語をたどることができるのではないだろうか。 丘のかげで 小鳥たちの食べる分を残し 煮詰める初夏の果実に さくり、と 木べらが奥深く入っていった午後 いつか わたしがかえってゆくはずの 土のやわらかさを、おもう 台所の小窓にうすく映る緑の地もまた 虫や鳥たちを包みながら ゆっくりと時の浸食を受け入れつづける、いきもの 長い雨季が終わるごとに 小さく軽くなっていったひとが 若いころ 手を引いて教えてくれた なつくさのそよぎも いまはもう聞こえない 「丘のかげで」という作品のはじめの2連。読んでいると、おのずと耳が反応する。繊細な指遣いで潤いのある果実を選ぶようにして紡がれたことばだということがわかるだろう。こうした調和的なことばの音楽はともするとさっきも言ったように情感に流されてしまいがちだが、この詩人の作品にはそれがない。抒情の溢れを知らず知らずの間に吸収してしまうほどの《肺活量》が、彼女のことばには具わっている。《抒情の肺活量》とでも言えばいいだろうか。実に辛抱強く、息を詰めて、それぞれのことばが情感を抱える許容量を融通しあい、ことばと情感による潤いの循環を持続していくのを、調節しているかのように、作品は続いていく。続きはこうだ。途中を割愛して、この詩のおしまいの3連を。 どんなにさげすまれても 丘の家の一軒一軒を 物乞いをするようにめぐり 散る間際の花びらの火を 老いていったひとの 庭先があふれるほどに集めてゆけば わたしのことばもいつしか 花かげの弱い明かりを宿す 歌声へと変わるかもしれない 音も立てず煮詰まりはじめた 夏の匂いに気づき どこかの窓辺で 赤ん坊が泣きだした わたしは遠い赤ん坊をあやすように すり減った鍋底に深く溜まった 重い陽をゆらし ゆすり 果物がたっぷりと時間をかけて すべてのかたちをなくしてゆくのを 丘の翳りにからだを預けたまま いつまでも見ている 詩集なかほどから、死の影の谷をぬけたようにして「ひとつぶの」という、子を宿す詩が書かれ、しずかな再生の物語へと続いていく。実に端正に編まれた繊細な植物の蔓籠のように、そこに容れられた物語は、それを盛る籠の造型のていねいな手の痕に馴染んでいる。
by loggia52
| 2013-09-26 23:29
| 詩
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