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高橋悠治のコンサートというのは、完成された既成の音楽や評価のさだまった音楽をそのままなぞるようなことはやらない。また、逆にそれは前衛という名でくくることもできない。今回のパンフレットに浅田彰が「フリー・ラディカル」ということばを使って高橋悠治の音楽について書いている。「ものごとを根っこ(ラディックス)から考え直しやり直す人、それゆえに既成のシステム(ものの考え方ややり方の体系)から自由な人のことをさす」というフリー・ラディカルの定義は彼にぴったりの形容ではないかというのである。 コンサートの最初の彼のピアノの音を聴くだけで、いつも、初めての音に出会ったという強い印象を受ける。いつもフレッシュで明快でクリアで知的なのだ。知的というのは、絶えず次の音へのわくわくするような誘いが、指のなかに確かに仕組まれているといった感じとでも言えばいいだろうか。 今から40年ほど前、京都で高橋悠治のコンサートを聴いた、その時の印象がいまだに強く残っている。ステージに登場してきた高橋悠治を、調律師か、技術スタッフかと思って(どうみてもピアニスト然とした印象ではなかった)気を許していたら、その彼がすとんと椅子に坐るや、いきなりバッハを弾き始めたのである。 40年後の高橋悠治もちっとも変わらない。はにかんだような少年の表情で、観客の拍手を受けとめて、椅子にすとんと座るやいなや演奏がはじまる。まったく40年前と同じ。 モンポウの『子供の情景』(1918年)。今回のコンサートのテーマは「子供」。他に、サティの子供のためのピアノ曲。サティはパリの郊外で子供たちにピアノを教えたりして生活していたらしい。その子供が弾くために書いた曲だ。 どう考えても、通常のピアノのコンサートのプログラムでは決して弾かれることのない曲だ。それを彼が弾くと、「フリー・ラディカル」。《覚醒》と、あえて言いたいのだが、子供の弾くようなタッチの音楽が、目の覚めるようなクリアな音のしずくになって響いてくる。 しかし、何と言っても、前半のプログラムでの圧巻は、《寝物語》。会場はすっかり闇に包まれ、わずかにピアノの楽譜を照らす明かりと、ステージに置かれた寝台(マット)を照らす明かりのみ。その寝台に歌い手の波多野さんが仰向けに寝ている。彼女は仰向けに寝たまま声を発する(歌う)のである。 「寝物語」は藤井貞和の詩(彼の詩集「ピューリファイ」(書肆山田)に入っている)で、元は、床に仰向けになった歌手と箏のために書かれた曲。箏は高田和子が弾いたのだろう。「ピューリファイ!(Purify!)」に収められた詩を改めて読み返してみると、ベッドに横たわっている子供は、死をまえにしてしているようだ。もはや助からない子供の夢と現実ともおぼつかないことばの漂い、ことばの戯れが、切ないまでに生きたい、生きようという、《生》の息づかいを喚起させる。 藤井貞和さんにとって「「ピューリファイ」の80年代は、まさに激しくことばに揺さぶられていた時代だ。もちろん今もそれは変わらないが、彼が最もラディカルで先鋭的だった時代の詩だ。 ここまでがコンサート前半
by loggia52
| 2014-01-06 00:08
| 音楽
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