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『鐘の渡り』 古井由吉。彼の小説は境界のこちら側とあちら側とをゆらぎながら進行していく。境界といっても、夢と現実の境界という単純なものではない。「私」と私でないもの(一人称と三人称の境界)。現在と過去の境界。物語と現実。生と死。それらの境界をたゆたうことばは、しかしおそろしいまでに明晰だ。もうひとつ、作品はたんたんとした「私」の内的な語りのように見えるが、通奏低音が徐々に狂いだし、その狂いを撓(た)めながら、「私」の語りが「私」から遠ざかり、非人称的でしかも重層的な意識の語りへと変容していく。 「すぐれた読み手を自分のために見出すことは、俳人にとっても重要なことである。日記をつけるように一人で俳句を作っていても、それは作品とは呼べない。俳 句をめぐる人間関係は、俳句を呼んでもらうための関係である。虚子が「ホトトギス」に雑詠欄を創設したのが今日に至る結社制度の原型だが、これは近代にお ける俳句の作り手と読み手の新しい関の制度化に他ならない。俳句結社は、単なる結社成員の集合体ではなく、選者と投句者との一対一の関係、すなわち師弟関 係の束なのである。この制度の中で、投句者は選者に読まれるために俳句を作る。」 この「選者に読まれるために俳句を作る」というところに納得がいった。投句者と選者の一対一の関係のなかで、俳句は磨かれていく。それは「結社」だけの話ではない。この本のなかで、多田智満子さんの俳句について書かれている。彼女は発病以来、病床で俳句を書き留めていた。それはひとえに、高橋睦郎を読み手として作られたというのである。 「この句集(多田智満子の遺句集『風のかたみ』)に収められた作品は、本来は高橋氏をただ一人の読み手とするものだったのだろう。この完成度の高さから、少なからず高橋氏の手が入っていることも容易に想像される。しかし、それは多田氏の作品の価値を少しも損なうものではない。いつかこの文学上の姉と弟は、姉の死すべき運命を受け入れるとともに、これらの俳句をもって遺句集編もうと病床で語り合ったのだろう。この句集の奥付には日付がない。それは来るべき姉の死の日に備えて、親しい人々によまれるために編まれたのである。」 その多田さんの『風のかたみ』から引く つはぶきの蔭や小猫のされかうべ さわさわと光洗ふや大欅 忘れ盡して輕き頭(かしら)や籠枕 枯笹に紛れぬ犬の尻尾かな 草の背を乗り継ぐ風の行方かな 「風の行方」が句集最後の句。辞世の句というべきか。 この本には、多田さんが亡くなったあとに高橋睦郎さんが発表した俳句のなかにある次の句も記してある。 智満子逝く 今朝風となつて冬萌促すか * * * 今読んでいる本と机の上にひかえている本を幾冊か。 『《世界史》の哲学 東洋編』 大澤真幸。『ピース』 ジーン・ウルフ。『旅立つ理由』 旦敬介。『俳句のはじまる場所』 小澤實。『2666』 R.ボラーニョ。
by loggia52
| 2014-03-27 01:41
| 書物
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