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高橋睦郎さんの講演のあと、俳人の塩見恵介、歌人の大森静佳、荻原裕幸、魚村晋太郎という各氏によるパネルディスカッションがあった。 ディスカッションのきっかけに、それぞれが好きな短歌・俳句、気になる短歌・俳句をレジュメに挙げている。その中から、拾ってみる。 ブラキオザウルスの首の長さを思いおり寝違えし痛み昼まで続く 永田淳 からみつく卵黄を箸に切りきざみ飯くぼみたる上ゆ垂らしつ 大辻隆弘 もみの木はきれいな棺になるということ 電飾を君と見にゆく 大森静佳 寝転んで虹はひとりにひとつずつ 塩見恵介 口閉ぢてアントニオ猪木盆梅へ 関悦史 中でもこの日最も盛り上がったのは、《船団》の俳人、塩見恵介さんが挙げた 「この雪は俺が降らせた」「田中すげえ」 吉田愛 という句。この句について発言したパネラーのほとんどが好意的だった。 この句は、あえて俳句としての骨法を無視した、討ち死に型の作品だ。 こういう鉄砲玉のような作品に本気で飛びついて、「すげーっ」と言い合う現代の短歌や俳句の作り手たちに、ぼくはただならぬものを感じた。この句に積極的な「読み」を試みることによって、俳句という詩型の持つ不思議さや、「季語」のはたらきを検証するパネラーたちの議論は聞き応えがあった。 当然と言えば、当然だが、短歌・俳句の作り手たちにとって、定型に対する信頼と懐疑、子規や虚子や啄木や茂吉、いやそうし た近代短歌・俳句にいたるまでのゆるぎない定型山脈に対する畏怖・畏敬と懐疑が常に彼らの創造行為を掻き立てているということを実感した。 そういう思いを抱いて、レジュメにならんだ先のような句や歌をよむと、彼らのことばへの並々ならぬ格闘の現場をまざまざと見る思いがする。 * パネルディスカッションで、塩見さんが、俳句は、サッカーのP.K戦で、ゴールの枠にいかに入れるかに集中する形式であり、短歌はパスワークで、言葉を繋ぎながらいかにゴールまでもっていくかを考える詩型であるという比喩も面白かった。 確かにここに挙げられた短歌俳句は、まさにサッカーのP.K戦を意識した句、パス・ワークの意匠を駆使した短歌のように見える。それ故か、こうした一首や一句だけ読むと、あざとい感じがぬぐえない。短歌や俳句の場合は、少なくとも30首くらいまとまっていないと詩の世界が見 えてこない。つまり、30句のすべてがP.K戦のゴール枠を意識して作られたらどこか不自然な感じがする。ことばとの関わり方はPK戦やパス/ワークだけ ではないはずだからだ。もちろん、塩見さんはそのことを織り込みずみで、短歌/俳句の表現の違いを端的におっしゃったのだろうけれど。 -ということで、ここに掲げた俳人/歌人の作品を少しまとめて読みたいと思っている。 (写真は内容とは関係ありません。但馬のとある山里の小屋。)
by loggia52
| 2014-08-03 09:35
| 歌・句
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Comments(3)
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