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その山里に面白いお寺がある。平安弘仁期から鎌倉初期にかけての未完性の仏像が多く残っているのだが、時間の浸食が著しく、一木造りの木像が顔の表面を浚われ、腕の先がなく、いや、腕すらもなく、見ようによっては無惨なお姿をさらしている。そのような、もとの木に還ろうとする、あるいは意味のない木片に変じようとするものが、ほかならぬ〈仏像〉であるというところに、なにか複雑な物思いを誘うものがある。 先だって、千ヶ峰を下りて、ふと思い立ってこの寺にでかけたのは、今、構想している作品のヒントになればという思いから。 さらに興味深いのは、快慶についての東大寺の古文書に『丹波講師快慶』と記されているらしく、どうやら丹波と深いつながりのある仏師というのだ。そして、達身寺に八十体のこされている仏像のなかに未完成のままのものがいくつもあり、本尊仏となるような仏像が何体もあるところから、仏師の工房が、このあたりにあったのではないかという説もあるとのこと。 しんしんと冷える宝物殿内を行ったり来たり、収蔵庫の朽ちた仏像たちを見つめながら、なかなかおもしろい作品のヒントがつかめたのは収穫だった。
by loggia52
| 2014-12-21 22:39
| 美術
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