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![]() 平安末期は知られるとおり浄土信仰が貴族のあいだで流行し、阿弥陀如来を納める阿弥陀堂が多く造られた。なかでも、この富貴寺大堂のような一間四面堂と呼ばれる形式の阿弥陀堂の遺構はいくつかあるようだが、まっさきに思い浮かぶのが、播磨・小野市にある浄土寺浄土堂だ。 ![]() ![]() 大堂の内部にも入ることができる。阿弥陀如来の周井の壁面に、浄土世界を描いた壁画が描かれている。もとは極彩色に彩られた鮮やかなものだったらしいが、今は色彩は剥落して色褪せている。むろん、阿弥陀如来も、もとは金色に輝いて、お堂の柱や開き戸も丹色に塗られていたわけだ。 それに対して、小野市の浄土寺浄土堂は、まるきり違う。息をのむような運動性のある大胆な木組みを剥き出しにして、ひろやかな空間を確保し、西方の雲上からまさに降り立った阿弥陀三尊のイメージを意識して造られている。 つまり、富貴寺大堂のほうは、この世から隔絶した浄土の世界を、阿弥陀堂の中に再現し、この世ながらに浄土世界を体現する水平空間であるのに対し、浄土寺浄土堂の方は、上昇-下降という垂直空間。言い換えれば、浄土世界はこのお堂の中にはないのだ。お堂の中はガランドウなのだ。これから、阿弥陀三尊が西方浄土へ連れて行こうとしているまさに《今、ここ》のリアルな、この世とあの世の結界がこのお堂の中に閉じ込めてある。もはや、浄土世界はこの世に再現する能わざる時代になったと言うべきか。 ![]() 優美に、たおやかにミニチュア-ルの浄土世界を包みこむ富貴寺の大堂の建物。かたや、今まさに阿弥陀三尊が浄土からこの世に降り立った劇的で聖なる時間と空間は、あくまでも厳重に堅く封じなければならぬ-そんな容れ物の印象が、浄土寺浄土堂にはある。そういう浄土に対する認識の違いが、建築の様式の違いになっているように思われる。言い換えるなら、新しい思想を盛る器としてのモダンな建築というべきか。 富貴寺大堂と浄土寺浄土堂の印象の違いばかりを言い立てたが、本当は、それはどうでもいいこと。 この二堂が、こうやってこの悪しき時代に、奇蹟のように遺されたことのほうにこそ深い意味があるのだ。
by loggia52
| 2015-03-27 22:18
| その他の旅の記録
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