カテゴリ
全体 Loggia/ロッジア 『石目』について ぼくの本 詩集未収録作品集 詩 歌・句 書物 森・虫 水辺 field/播磨 野鳥 日録 音楽 美術 石の遺物 奈良 琵琶湖・近江 京都 その他の旅の記録 湯川書房 プラハ 切抜帖 その他 カナリス 言葉の森へ そばに置いておきたい本 未分類 以前の記事
2023年 11月 2023年 10月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 more... フォロー中のブログ
最新のコメント
メモ帳
ライフログ
検索
タグ
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
休みなく咲き続けたるくれなゐを心の底に置きて昼寝す 幾つかの袋のどれかに横たはつてゐる筈なのだ可愛い耳して ケータイの在りかをぼくので呼びあてる、弁証法の正と反だね ただ一つ残して置いた白桃(しろもも)をいま食べ終つたみたいな気分 大きその手の手背(しゆはい)なる血脈(けつみやく)の青さは今もわが目にのこる うつくしい花ばかりがあるわけじやない雑草(あらくさ)は風のなかの寂しさ こんな虚偽が次々まかり通っても許せるのかといへば 許せる 鼠径部をひらく手術にBariquand(バリカン)が毛を剃るといふ 慮外(りよぐわい)のことだ 点滴をうけつつ仰ぐ空なのだ欅の黄葉濃く速く降る かりがねも白鳥(スワン)もごつちやに水に在る此の列島に俺も棲んでる ヨハン・セバスチャン・バッハの小川暮れゆきて水の響きの高まるころだ だめよだめ 言ひながら差す雨傘のやうな女は年とらず逝く 虚(うそ)になる眞(まこと)もありぬ裏庭の闇をこのみて咲ける臘梅 煮(に)合はせた魚と枝豆 今夕(こんせき)は蕪村門暁台の弟子となるべく 揉上げは剃らないことに理髪師が同意したあと風がでて来た わが知らぬその声はややたかぶりて川口美根子の逝きたるを告ぐ その通りだ。此の散策も無意識のくらがりの葉をゆすりつつ行く 冬だつて戸惑ふだらう去つてゆく間際に愚痴を聞かされてては 虚と実と、その中間に鳥が居る夕ぐれの椋鳥(ムク)のやうに騒(さや)いで さびしさの糸魚川(いといがは)すぎ前方に待ち受けをらむ蛇(へみ)の口見ゆ 言の葉の上を這ひずり回るとも一語さへ蝶に化けぬ今宵は 岡井隆の歌集『暮れてゆくバッハ』(書肆侃侃房)をカバンに入れながら、折りに触れて読んでいた。病院の待合や、仕事のあいまに珈琲をすすりながら、また、中国山地のブナの木陰で。初めから順序ただしく読んでいたが、いつのまにか、任意の箇所を開いて読むようにした。すると、同じ歌を繰り返し読むことになるのだが、おもしろいことに、同じ歌でもずいぶんすがたが違って見えてくる。日陰で眺めていた同じ花を日射しのなかで見ておどろいたような印象をもった歌がいくつもあった。おそらくそういうことは、例えば『鵞卵亭』、『歳月の贈物』あたりから『禁忌と好色』にいたる70年代後半から80年代のあたまにかけての歌集であれば、そんなことはおそらくなかったに違いない。 蒼空(おほぞら)は蜜かたむけてゐたりけり時こそはわがしづけき伴侶 歳月はさぶしき乳を頒(わか)てども復(ま)た春は来ぬ花をかかげて このような珠玉と呼んでもいいような秀歌は、いつ読んでも印象は安定している。しかし、岡井隆は、こうした秀歌や珠玉を紡ぎ出す短歌に危機感を感じたに違いない。あるいはそれを塚本邦雄の歌の未来に感じていたのかもしれない。80年代後半から口語を取り入れ、自らもライトヴァースを提唱し、ニューウェーブの歌人たちを支持していく。短歌の世界は、この岡井隆の新境地を切り開く方向へ舵をきったことによって、ずいぶんと変わった。そればかりか、積極的に短歌の領域を越境して現代詩を試み、『注解する者』などというとんでもない詩集を上梓して、詩人たちを驚かせた。さらに、茂吉や杢太郎などの評伝の営為も見逃せない。 一度作り上げた山を自らの手で崩し、何もないところからまた別の山を-それも二つや三つ積み上げていこうとする。 かつて、このblogで、岡井隆のポエジーの在処を、「つまずきの詩学」と名付けたことがあった。実生活においても短歌の世界においても、彼は「つまずき」を経験し、いやもしかしたら、わざとつまずくように自らを誘い込み、そこからいくつもの境地の種を播いて、豊かな収穫を手に入れ、やがてそれもまた手放して(つまずいて)いくつもの新境地を芽吹かせていく。それらすべてが芽吹くわけではないだろうが、短歌の世界には、それを引き継ぐ者がいる。 今回の歌集でも、そういい歌でもないと思っていた歌が、次に読んでみるとこれは!と大切な発見をしたようなよろこびを与えてくれるような歌がある。短歌を読んでいて楽しい、そんな思いに誘ってくれる。短歌に珠玉なんていらない。おそらく、珠玉を求める短歌は、近代短歌で終わったのだ。
by loggia52
| 2015-09-02 14:18
| 歌・句
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||