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彼女の小説は、そもそも日本を描いても、どこか日本の日常の空気感と違う。他の通常の作家の場合は、作品と現実の日本とが繋がっていて、それゆえに読者は作品に入っていける。 それは、どういうことかというと、梨木香歩は端から、《日本》という根にこだわっていない。むしろ、「どこにもない場所」、言葉によって立ち現れる世界をこそ描こうとしているからだ。そこがぼくには好ましいのだが、別の人は、それを、タカラヅカ的で、日本の生活のなかに根づいていないと評する。そんな人にはいつも、『沼地のある森を抜けて』を読め、とすすめている。梨木文学の最も魅惑的な世界観に触れている、すぐれた作品だからだ。 それともう一つオススメしたいのが、彼女のエッセイ。ことに『水辺にて』や『渡りの足跡』は、フィールドに出て、自然やそこに生きる生物や植物とのふれあいを描いたものだが、彼女の素顔と彼女の文体とがストレートに味わえるから。 『水辺にて』は、カヤックに魅せられた彼女が、琵琶湖周辺や北海道、また紀州の川をめぐる。 カヤックというアイテムは、彼女の文学を考えるうえで、この上もない象徴的な記号だ。西欧でもむろん日本でもない、イヌイットや辺境の水の民が編み出した知恵のかたちを、西欧の技術が磨きをかけた道具だ。そして、それは水辺という、陸と川(湖)との境界をめぐるアイテムである。梨木香歩の小説のほとんどは、こちら側とあちら側との越境、交流、もしくはその境界的世界の変異をテーマにしていることを思えば、カヤックこそ、彼女の小説というアイテムに比することができるだろう。 とくに、この作品の中では、北海道の東大演習林を流れる空知川周辺の森のことに触れた「川の匂い、森の匂い」、それから森に迷う「水辺の境界線」、おしまいの、サンカノゴイというサギの仲間を見つける話もいい。 一箇所だけ引用しよう。紀州、古座川のさらに上流でカヤックを浮かべたときの話。 「あまりの透明度に空中に浮かんでいるような錯覚を起こす。対岸からはどう見ても川に続く崩れかけた古い石段にしか見えなかったのだが、漕ぎだして川を横切り近づくと、自然石であることがわかる。上流であるので大きな岩が多い。湿った、濡れた、岩のにおい。苔のにおい。この田植え直前の時期、生命力あふれた五月のもの憂さの醸し出す濃密な湿度の故もあったかもしれない。そして、この今にも雨になりそうな天気。濡れた岩のにおい、というものがこんなに自分の感官に訴えてくるものだったということを、遠い昔のどこかで知っていたような、前世だか子ども時代だかそれとも日本人のDNAに組み込まれてある記憶なのだが、深く息を吸い込んでそのことを細胞で味わうように確認する。 数人の子どもたちが騒いでいるような声が山の上の方でしている。最初は気にならなかったのだが、辺りがあまりに静かなので、あれは何だろう、とふと疑問に思う。子どもの遊んでいる声にしてはちょっとおかしい、と考えていると、Tさんが、あれ、サルの声ですねえ、と言う。ああ、サル。なるほど、と頷く。視線を水面に移す。透き通っているのだが、緑を映しているせいか濃い翡翠色、淡い翡翠色、と数メートルある川の深さに応じて(略)色合いが違う。が、底にある砂や小石の様子まではっきりとクリアーに見て取れる。 ほの暗く透き通った緑の、美しい淵になっているところにカヤックを進めると、何だか異空間にすっぽりと入っていくようでくらくらとする。急に背筋がゾッとして鳥肌立つ。ここ、変な感じがする、と声を掛け、交替のようにTさんにも入ってもらう。ああ、本当ですねえ。ねえ。私は心の中で、何かいますよ、きっと、と呟いたが声には出さなかった。本能的な怖れがそうさせたのだったか。口に出して何人かに意識された瞬間、動いてしまう魔的なもの。皮膚一枚ぎりぎりで保つ彼我の境。 緑の滴り、淵満たす水鏡。」 『隠国の水1』
by loggia52
| 2015-10-31 23:23
| 書物
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