カテゴリ
全体 Loggia/ロッジア 『石目』について ぼくの本 詩集未収録作品集 詩 歌・句 書物 森・虫 水辺 field/播磨 野鳥 日録 音楽 美術 石の遺物 奈良 琵琶湖・近江 京都 その他の旅の記録 湯川書房 プラハ 切抜帖 その他 カナリス 言葉の森へ そばに置いておきたい本 未分類 以前の記事
2023年 11月 2023年 10月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 more... フォロー中のブログ
最新のコメント
メモ帳
ライフログ
検索
タグ
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
この「Stellantis-Marriage Waltz」には、先に紹介した中央の柱の文章のなかに次のような補足が記されている。 「この副題は発想の元になったヴァレンティン・シルヴェストルフ作の同名曲によっている。ポッペン指揮、リュビモフのピアノによるアルバム(ECM-1988)とフェルツマンのピアノ独奏によるアルバム(CMCD-28098)のどちらかを折々の気分に応じて選び、愛聴してきた。制作に不可欠の音楽であり、曲想の広やかな大気感と浮遊感は遠からず訪れる最期の時に不可欠の音楽でもある。」 ぼくが言葉を操ることを常日頃営んでいるからかもしれないが、このような複合的な技法による作品には、言葉のエーテルのようなものが覆っているかのような印象を受ける。言い換えれば、《物語》をより強く、見る者に要請して いるように思われる。それは、木口木版の時代の作品にも多分にあったが、木口の場合は、それ以上にその技法の持つ圧倒的な黒(闇)の深さによってうずめられていた 。 この複合的な技法による作品の場合は、漆黒の底のない闇というよりは、下地の墨による暗黒に散りばめられた星星の光とおぼしい背景や、未知の天体の不穏な大気の表情のなかに浮かび上がるようにして描かれている。それは比喩的にいうならば、劇場の照明と暗幕がつくりあげる装置としての下地の空間である。つまり、それらの作品は、イメージの舞台の上で繰り広げられるイメージの物語の断片なのだ。奇しくも「Stellantis-BWV1056 Largo」でも、「Opera」(プチボワでの展示作品)にも、そのような舞台がしつらえれている。 彼の一連の《STELLANTIS》は、そうした物語劇としても読めるのではないか。しかし、大急ぎで付け加えなければならない肝心な点は、その劇場には、すでに観客となるべき人はいないということ、複合的な技法による作品のシリーズには、そこまで織り込んで創られているのではあるまいか。あるいは、死に絶えた星の上で、静かに繰り返し回りつづける幻灯の劇のイメージだ。 そこには、見る者も聴く者も繙く者もいなくなった星の劇場空間に、柄澤の選りすぐりの音楽や絵画や映画や書物が、あたかもそれらの反転されたイメージの版画のように浮かび上がる。 この天体に対する彼のレクイエムだとすら言ってみたい誘惑にかられる。 なお、シロタ画廊でのこの個展は、12月5日まで。
by loggia52
| 2015-11-28 23:18
| 美術
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||