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次に、長々と引用するのは、紙飛行機の愉しみを語りながら詩の言葉の属性へとみちびく一編なのだが、その文章の手際のあざやかさと、繊細な論理の綾をたどっていく文章の軌跡が、まるでしなやかなピアニストの指の運動を思わせる。 「・・・紙飛行機の飛行には、それがあたかも『いつまでもいつまでも』続くと見えるかのような『不思議』さの印象が、そのつどまとわりついている。ひとたび手から放たれたものなら、重力に引かれてそのまま地面に落下してしまってもいいようなものなのに、なぜかそれは空中に浮游したまま、思いがけず長々と引き延ばされた時間を持ちこたえつづけるのだ。何度繰り返しても決して馴れるということのないあの思いがけなさと微かな驚きの感覚が、紙飛行機の遊びに、優美な上品さに見とれているときのような魅惑を賦与するのである。 そうした手品を可能にするのは、決して強すぎることのない弱い空気の流れである。空が凪いでいて空気にまったく動きがない場合、紙飛行機はたちまち失速し、自身の重量を支えきれず墜落してしまう。しかし、強すぎる風もまた、過度に加速したりバランスを崩させたりして、落下を早めるだろう。ただ微風だけが、紙飛行機の魔術的な飛行の持続に貢献するのだ。微風とは、わたしの手から放たれた物体を受け入れることに同意するとき『世界』がそれに向かって投げかける、微笑みのようなものではないだろうか。 ただし、いかに簡素で単純なオブジェとはいえ、単なる一枚の四角い紙のままにとどまっていたならば飛行は不可能だということもまた事実である。微風が吹いているだけでは十分ではないのであり、放たれる以前に、そのオブジェの上にわたしの手指が或る加工を施すということがなければ、紙は紙飛行機へと変身しえない。加工といっても、べつだん大して複雑なものものしい操作を施すわけではない。外的な推進装置を付け加えるわけではもちろんない。わたしはただ、紙を折り畳むだけである。『折る』こと。これはまた何と原始的な身振りだろう。わたしはそれを切ったり貼ったりするわけではない。糊付けしたり組み立てたりするわけでもない。ただ指で押さえて折り目をつけ、或るきわめて簡素な構造ときわめて単純な形態を作り上げるだけのことである。わたしはその素材にほんのわずかな手を加えるだけなのだが、しかし、紙飛行機のゆるやかな滑空を可能にするのはそのわずかな接触と加工以外のものではない。それを『放つ』とき、わたしはそれを『わたし」から離脱させるのではあるが、わたしと無縁になったその紙葉を今度は『世界』の側が受け入れることを可能ならしめるものは、『放つ』以前にわたしがそれに施しておいた『折る』という原始的な操作以外のものではない。だから、きわめて稀薄な形ではあるが、その飛行にはやはりわたしの手が関与していないわけではないのだ。紙飛行機の愉しみは、わたし自身の手指のこうした稀薄な関与の仕方における、責任と無責任との微妙な均衡にあるように思われる。」 「そして、その均衡とは、それ自体わたし自身の意識によって統禦しがたいものである。(略)結局、わたしが自分の手で統禦できる部分など高が知れているのであり、ただ確実なものはと言えば、それを宙に放った瞬間に掌に残る不意の軽さの感覚だけである。『放つ』とは、重さの感覚の不意の消滅を、或るネガティブな衝撃として掌に受け止めるという快楽的な体験のことだ。つい今まで手指に感じられていた物体の重みが、不意に消え失せてしまうこと。そうした不意打ちの快楽は、その前段階においてはほとんど無意識的な操作として紙片に施される『折る』という身振りの稀薄さと、そこはかとなく響きあっているかのようだ。『放つ』ことの快楽とは、言ってみれば、『わたし』に課せられた責任と無責任との間の均衡そのものを、『世界』に委ねてしまう瞬間の解放感のことなのである。」 できるかぎり、緊密な論理の糸を切るまいという思いから、ほぼそのまま写してみたが、このあと、「紙飛行機の飛行のような言語」すなわち「手から放たれ、大気中を浮游する簡素な紙の構造体のような運動」とでもいうべき言葉の「構造体がふわりと風に乗り、早春の日射しを浴びつつ、まるで何かの魔術にでもかかっていてありきたりの物理法則の支配を受け付けないかのように、思いがけないほど長い時間、ゆるやかに宙を滑空しつづけるさまを眼で追うこと。そんな至福の体験をもたらしてくれる言語はどこにあるのか。」-と、詩の言語へと話が移っていくが、あまりにも長くなるので、興味ある方はぜひ本文をあたって下さい。」(「断つこと、放つこと」)
by loggia52
| 2016-01-02 23:31
| 書物
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