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なぜ、彼の初期の評論集(初期といっても、『限界の文学』は四一歳の時である)を再読する気になったのか。『白山の水 鏡花をめぐる』(講談社)を読んで、あっ、こんな文章を書く人だったのかと、強く心に染みたからである。 『懐古のトポス』のあと、『物語の宇宙』あたりから、彼の書物からつい遠ざかってしまっていた。ぼくの知っている、ホーフマンスタールやリルケ(「マルテの手記」も手塚富雄の後、彼の訳で再読した)や、ムージルの『特性のない男』、ブロッホの『ウェルギリウスの死』、マンの『ブッデンブローク家の人々』(これも河出の彼の訳で読んだ)の翻訳家でもあった批評家の貌とはまた違った影像を見る思いがしたからである。 「鏡花を巡る」という副題が付いているとおり、鏡花の作品世界のキーワード、例えば「金沢」「川」「水死」「蛇」「カロン」「鳥」「小人」などを採りあげて、とりわけ地誌や地霊を細かに、丁寧に辿り、鏡花の作品世界と照応させ、鏡花の幻想的世界のありようをとらえ直そうという試みと言っていいだろうか。そこには、保田與重郎やドイツロマン派の文学や内外の神話と照合させたり、自らの人生の跡形をも注ぎ込んで、鏡花論というよりも、もう少しゆるやかな川村二郎の文学論とでも言っていいうような書物である。 とくに、冒頭の「金沢」は、深く印象に残る一編。 こんな文章で始まる。 「金沢は最初の異界だった。 昭和十三年、十歳の夏に東京から金沢に移り住んで、まる一年をこの土地ですごした。その中に何がひそんでいるのか分からない、ただひそんでいるものの気配ばかりは感じられる、曖昧な靄に包まれたまますごした一年だった。」 「(略)東京での七年は、あとから振り返って、黄色くあたたかい微光にひたされたまま過ぎていたような気がする。時代の影がその光の表面に落ちることはたしかにあった。シナ事変と呼ばれた中国大陸での戦争は昭和十二年の七月に起っていたし、その前の年の二月末には、庭も道も一面に覆った雪の白い輝きの彼方から、ひょっとして『叛乱軍』の銃声が聞えてはこないかと、耳をすましたりもした。しかし、少くとも子供の幼稚な感覚では、光る水の面を影が突き抜けて、水底のぬくもりを冷え冷えと暗くおびやかすような事態には、まだ立ち到ってはいなかった。」 二・二六事件が昭和十一年だから、川村二郎は八歳、その二年後に金沢に一年だけ住むことになったようだ。 金沢の家に住んですぐに妹の死に遭遇する。転校してきた学校の校庭で、炎天下、鍛錬のための徒手体操を毎日課せられて、一週間ほどして気分がわるいといって寝こみ、日射病と診断された翌日に急死する。 「下の面の座敷に妹は寝かされていて、まわりで家族みなが泣いていた。かつて目にしたことのない父親の涙を見て、こちらももちろん泣いた。泣いたが、悲しいという気持はまるでなかった。かわいそう、ふびん、あわれ、情緒がそういった言葉に形を借りて動きだすのは、直面している事柄にある程度距離を取るだけの、心のゆとりが生じた場合に限られるので、不意打ちの衝撃が心に充満した瞬間、そこに情緒が割り込む余地はなくなってしまう。 死を唐突な暴力として、この時初めて目の前に見た。(略)昨日まで妹の明子(はるこ)であったものが、一晩で智月院光童女という気疎い存在に変わってしまう。これはいかにも理不尽な、むごいとしか思いようのないことだった。 その頃女学生だった五歳年上の姉は、今でも、妹は金沢に殺されたのだといっている。玄関が東北を向いた広く陰気な金沢の家での生活は、家族の中の小さなひとりの死とともに始まった。」 およそそれまで読んできた「懐古のトポス」までの批評のスタイルとはまるきり違う文章の息遣いにとまどうよりも、強く胸に響いてくる文章だ。この私的な死の影に縁取られて、鏡花の作品世界の胎内巡りが開始される。鏡花の作品世界を生み出した胎内をキーワードを手づるに巡っていくわけだが、その仕上げとして白山の水に収斂していく。そして、鏡花の作品世界の胎内めぐりのおしまいは、「金沢」。言わば、最初の思い出の「金沢」の章に始まって、最終章では現在の「金沢」の印象が綴られているわけである。文章のトーンは、あきらかに最初の「金沢」とは違う。何か憑きものが落ちたあとのどこかほっとした、しかし、なおもその憑きものの余韻に魅かれるようなトーンだ。 「学校からさらに、ほぼ浅野川に平行する道を上流の方向へ向って歩く。古い街でもあり、それほど驚いたわけでもないのだが、六十年前に住み、そこで妹が死んだ家が、相変わらずそのまま残っているのを目にするのは、やはり、幾許かかの感慨を催させることだった。古色が増しているのは当然ながら、よほど頑丈な造りだったのだろう、今でも人が住んでいる証拠に、表札が出ている。」 このあとにも、住んでいた界隈の描写が丹念に綴られ、次のように継がれていく。 「金沢は街には違いないが、街にしてははやり、影に富みすぎている。到るところに魔所を発見するのは鏡花の目の特性にほかならないけれども、その特性を刺戟し、見つけてくれと声なき声で呼びかけてくる地点が、随所にひそんでいるのも確かなのだと思われる。 五月というのに、おおよそ降りみ降らずみの北国らしいじめじめした一日だったが、夕方には西空が明るくなった。ただし美しい夕映えというのではなく、たとえば陽灼けるした漁師の顔に、酒の酔いが発したとでもいうような、ギラギラした赤黒い斑模様の空の眺めだった。日本海の上にある何やらまがまがしいそのかがよいを、窓の外に望む金沢のホテルで一泊して、翌朝は昨日のかがよいの在り所、能登の海の方へと向うことにした。」 このフレーズの「ただ美しいというのではなく、云々」を付け加えないとおれないところが、川村二郎の思考のスタイルなのだと思う。どこまで行っても、どこかにいつも心にほどけない結び目があって、それを解かないではおれないような情動が、川村の文体なのだという思いがする。
by loggia52
| 2016-01-07 01:20
| 書物
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