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不思議と言えば、不思議な小説だ。留学先のパリで、1938年の消印のある古い絵はがきを手にした主人公は、廃屋と朽ちた四輪馬車の写真の裏に書いてあった詩のようなものにひかれ、その絵はがきを書いた男のことを調べ始める。 その詩のようなものがまた、奇妙な作品で、十行で矩形におさまるように書きそろえられている。翻訳した詩(のようなもの)は、次のとおり。 引き揚げられた木箱の夢 想は千尋の底海の底蒼と 闇の交わる蔀(しとみ)。二五〇年 前のきみがきみの瞳に似 せて吹いた色硝子の錘を 一杯に詰めて。箱は箱で なく臓器として群青色の 血をめぐらせながら、波 打つ格子の裏で影を生ま ない緑の光を捕らえる口 関口凉子の詩集『グラナダ詩編』がこういう窓枠の矩形に文字が並んでいたのを思い出す。それはともかく、この作者をつきとめるために、同じように、矩形に記された詩句の絵はがきを骨董屋で集め始めるのである。 思いの外、ぽつぽつと三枚の絵はがきが見つかる。さらに、それから十年以上経って、再びフランスに長期滞在することになり、今度はその地方都市にも足を運ぶ。やがて、アンドレ・ルーシェというこの葉書の差出人が地方都市の会計検査官であったことがわかり、著名な写真家が撮った彼の写真もみつかる。また、アンドレの孫のダニエルやアンドレの長男の遊び友達だったヴァルデル氏といった関係者との交流や手紙のやりとりをつづけていく。 一方で、フランスに滞在したときに利用した安ホテルのアルジェリア人の一族との交流にも筆は費やされている。 小説はそうやって、絵はがきの詩句にこめられた会計検査官の男の動機や心のうちにせまろうとするのだが、それは丹念に、モランディの絵のように、淡々と、手間を惜しむことなく書き付けられている。しかし、アンドレ・ルーシュという人物について、その絵はがきの詩句やその意図は、結局はっきりとしたことは最後までわからない。しかし、小説の目論見は、そこにはない。 主人公が絵はがきの男を調べていくその過程において、さまざまなエピソードやちょっとした事件や、それらとは直接関係のない脇道へそれていく。そんななかの些細な書き込みやエピソードにこの男を浮かび上がらせるしかけが施してある。 結論だけを端折って言えば、つまり、アンドレ・ルーシェというのは主人公(私)自身の影ではないのか。アンドレ=主人公(私)というのではなく、1930年代のフランスの地方都市に住んだ会計検査官の男と、現在の日本、もう少し強調すれば、3.11以後の日本に生きる主人公とがシンクロするのである。絵はがき の裏に奇妙な詩句もどきを書いて謎の女に何通も送るという男の不可解な行為と、縁もゆかりもない日本の男が、奇妙な絵はがきを見つけたことから、フランスの、 それも名も知れぬ地方都市で第2次大戦前夜を生きた会計検査員の男を執拗に調べ出すという不可解な行為とがふと重なるのである。 そうやって思い返すと、サルトルの挿話や、ケロールの小説の話や、五右衛門の火のエピソード、モグラの話も、第2次大戦前夜の「奇妙な戦争」の空気を生きたア ンドレ・ルーシェと、3.11、とりわけ未曾有の大震災と福島の原発事故以後の空気を生きる作家(私)の内面が鏡像関係のようになって照らしだされてくる ような感じがしてくる。 なにが起きているのか、なにが起ころうとしているの か、現在を生きているうちには、ぼくたちにはわからない。しかし、なにかの端々に、これから起こることのきざしが 隠れているはずなのだ。この小説もまた、なにが起きているのか、なにがおころうとしているのか、よんでいるうちにはわからないような印象の小説だが、読み 終えてみると、実に丹念に描かれた言葉の織物の特徴的な文様のようなシーンの数々やエピソードの端々に、30年代の「奇妙な戦争」の時代を生きる男の鬱屈や憂愁が、3.11以後の日本の、なにが起ころうとしているのか、なにがおきるのかという漠とした息苦しさと重ねられているのに気づく。 忘れてはいけないのは、鬱屈や憂愁の色調を帯びてはいるが、主人公は決して絶望していない。小説のラストシーンを引用して、それを確かめておきたい。 「・・・ダニエルがなにを言おうとしているのかは理解できた。もう時間がない。不在の詩人の記憶を掘り起こすより先に、まだ命のある人に対してやるべきことがある。業火にさらされるとはこういう気持ちなのだろうか。安土桃山時代のあの盗賊が、子どもといっしょに釜のなかに放り込まれたとき、小さな命が失われないようずっと両腕を持ち上げていたという口碑を私は信じる。そんなふうにして守らなければならないものが、この世にはあるのだ。また手紙を書こう、ヴァルデル氏に。ひとことでもふたことでも、大きな、わかりやすい、『遠い隣人に差し出す穫れ/たての林檎』のような文字で気持ちを伝えよう。彼の瞳の色が変わり、言葉が滾るお湯に落ちてしまう前に。海藻を食べ、ゴエモンを焼いて心の肥料をつくろう。貧しい言葉のうえに、ほんのわずかでもあの海藻灰を、『輝く光の塵埃」を撒くことができるように。」 (フランス語で牛に与える餌の「海藻」のことを「goémon」という部分がこの前のシーンにある)
by loggia52
| 2016-03-05 00:38
| 書物
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Comments(1)
Commented
by
yf
at 2016-03-06 18:54
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湯川書房、湯川成一さんは、堀江敏幸、須賀敦子さんの短編を、美しい装幀で
発刊したいと仰っていましたが、出版社が取り囲んで、「お願いに行く余地」 がないと、嘆いて居られました。
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