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![]() その一つは、これが雅楽の様式を守って書かれていることについて。 初演のプログラムに武満はこう書いている。「衆知のように雅楽は宮中において特殊の生を永らえ、十世紀もの時間を創造の技を加えられずに在った。とは謂え、やはり人の手によって受け継がれ来たことを思えば、殊更に余人の附加うべきものがあろう筈もない。そう思いながらも、この魅惑的な素材を一枚の鏡として自分を映してみようという考えを捨てきれなかった。(略)新雅楽を創るというような気負いを捨てて、ただ、音の中に身を置きそれを聴き出すことにつとめる。」 雅楽には奇妙なタブーが多くあるという。例えば、後水尾天皇の時代以降、琴は右手一本で弾き、左手は使わないとか、笙は17本の竹管があるのに,鳴るのは15本だけで、あとの2本ははじめからリードがないので音が出ないようになっているとか。ちなみに笙は中近東から伝えられた楽器らしいが、日本に入ってくるまでは、当然17本全部なるようになっていた。 そういうタブーを抱えたまま、十世紀の間、基本的にはなにも手を加えられてこなかった雅楽の様式の不自由さを受け入れること―雅楽を「一枚の鏡として自分を映してみようという」方法に強く興味を持った。この方法は、無から有を生むという創作とは全く違っている。頭のなかで自由に音楽を着想しても、雅楽の制約がそれを阻んでしまうわけだから、根本的に音楽を書く方法を変えなければならない。つまり、すでにある雅楽の「音の川」に自らを委ねて、そこから音を選ぶ、取り出す―というやりかた。 『秋庭歌一具』の音楽に、心が引き込まれていったのは、そのような方法によって書かれた音楽に、今まで聞いたことのない清新な音の宇宙を感じたからだ。5年前にぼくは奈良で雅楽のナマの演奏を聞いたことがある。その時は確かに篳篥や笙の音に衝撃を受けたが、雅楽そのものには関心を持ち続けるほどには魅かれることはなかった。しかし、『秋庭歌一具』は、違った。そこには、はっきりとした音楽の構造が見え、なにゆえに音が清新な響きをもって迫ってきたのか、興味深い理由が隠されていた。 雅楽は、篳篥と笙と龍笛という管楽器群と、琵琶と箏の弦楽器群、それに太鼓などの打楽器群からなっているが、武満は、人の呼吸が作りだす管楽器の音と、人の手(指)が作りだす音という、両者の奏でる音楽の異質性に着目する。 「凡そ高音に偏った楽器群、その極度に制限された機能、異質の音色の集合。雅楽は西洋の調和の概念からは遠く隔たっている。だが、あの永遠や無限と謂うものを暗示する形而上学的な笙の持続―それが人間の呼吸と結びついていることの偉大さ―に対して、楔のように撃ち込まれる箏や琵琶の乾いた響き-それは笙や篳篥等とは全く異なる時間圏を形成する-。そして管楽器の、殊に篳篥の浮游するメリスマ、それらの総てが醸成する異質性(ヘテロジェニティ)は、私たち(人類)にとって」はけっして古びた問題ではない。」(『秋庭歌一具』公演パンフレット) 確かに篳篥や笙の奏でる《息》の楽器の音楽と、箏や琵琶の《手》による撥弦楽器の音楽とは、まるで別々に奏でられているかのようでまったく調和的ではない。異質な音楽が勝手に奏されているという感じがあるのに、それらを同一空間のなかで構造的に見ると、ゆらぎや震えや垂直性や浮游性を帯びる管楽器の音に対して、撥弦楽器のほうは、断つ、刻む、打ち込むことによる規則性や無機質性を帯びる。全く性質が違う音が一つの空間にあることの不思議な音の層が立ち現れていることに気付く。時間の隙間を作って、そこに時の溜まりを膨らまそうとする篳篥や笙の音と、それを阻止するように、時を刻んで、時間の流れを作ろうとする琵琶や箏の音との異質性が、音楽の構造としてはっきりと聞き取れるのだ。その異質な音の重なりが醸す不思議な音楽空間は、確かに何か未知なものが隠れていると思わせるものがあって、それに引き込まれるのではないだろうか。 実は、ぼくは音楽について書いているのだが、ほんとうは、言葉について、詩について書いているつもりなのだ。以上のことをそのまま言葉の世界に移し替えることはできないが、このヘテロジェニティの考え方は、言葉の世界においても示唆にとんだ問題を提供してくれるような気がするのだ。
by loggia52
| 2016-12-29 00:17
| 音楽
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