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彼とは大学入学時に知り合ったのだが、その時は18歳。大学紛争の終焉期だったが、断続的に全学ストライキがあり、授業はまともに受けた記憶がないが、その分、ぼくの知らない文学の話などを彼に教えてもらった。 現代詩も彼から教わった。 その頃は、入沢康夫『わが出雲・わが鎮魂』、 吉増剛造『黄金詩編』、田村隆一『新年の手紙』、飯島耕一『ゴヤのファーストネームは』。吉岡実の『サフラン摘み』は卒業の年か、それに谷川俊太郎の『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』と『定義』が同時に出たのもその頃。 しかし、まだ彼もぼくも詩を本格的には書いてはいなかった。小説や批評の書物を主に読んでいた。小説では、小川国夫『試みの岸』、古井由吉『行き隠れ』、辻邦生『夏の砦』、丸谷才一『笹まくら』といったところが二人の話題の本だった。プルーストもジョイスも、ゴンブロヴィッチなどの東欧の小説や、ボルヘス、マルケスなどのラテンアメリカ文学も高柳経由で読んだ。 そんな学生の頃からずいぶんと遠くまできたなという感慨にふけりながら、このごろの詩についての話題もいろいろと。 次の日は朝、練馬まで足を伸ばし、練馬区立美術館で開かれている『田沼武能肖像写真展』に行ってみた。ここに柄澤齊の写真も掲げられているからである。 どの写真も、その人間の個性的な存在感の強烈な空気というものが伝わってきて興味の尽きないものだったが、それは勿論、田沼武能の写真の力なんだろうけれど、人物そのものの〈アク〉の強さ、存在そのものが放つ磁力によって、レンズのほうがおのずと引き込まれていったという感じがする。あるいは、〈昭和〉という時代の空気はその当時には気づかなかったが、こうしてモノクロームの写真や人間の顔を見ていると、確かに〈昭和〉が刺青されている。永井荷風、吉田健一、川端康成、三島由紀夫(このころのボディビルに励む前の三島はいい顔)みんなすごい顔をしている。そうそう、武満徹もよく見かける写真だったが、田沼武能だったのか。 それに比べると、近頃の人間の顔はだれもがどこか似通っていて、ほかの顔との交換が可能だ。 とすれば、くだんの柄澤齊はこれらの人物中では一番若いのだから、昭和終焉の顔を象徴しているのかもしれない。この写真のことは次の機会に。
by loggia52
| 2017-03-07 23:37
| 美術
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