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「行儀の良い子/元気のない子/なにもかもが未熟な生き物は/おりこうに見えることが最低限/大人しく/背筋伸ばして膝閉じて/口を結んで座ってる/おりこうのお手本みたいな子供にならなきゃ/大人になる前に/裏返してポイッてされたら/息ができずに死んじゃうよ」(「七十五点ちっそく気味」部分) 小学校五年生の時に 父を喪い、それから二十七年経った今、全編、父をモチーフにしているこの詩集が編まれた。厳格な教員の父に厳しく育てられ、父に褒めてもらうために、「おりこうのお手本みたいな子供にならなきゃ」と一生懸命に「行儀の良い子/元気のない子」を演じていた窒息気味の子供時代。「今日できなかったことを考えなきゃ。一つでもうまくできなかったことがあれば、その日はイイ日じゃなかったんだ。ぜんぶよくならなきゃお父さんずっとしかめっ面」(よるのはんせいかい)。おまけに喘息の持病にも苦しんでいたことも。そういう、思い出すのもつらい時間や思い出にずっと蓋をして生きてきた。 しかし、父の二十七回忌を迎えたときに、父に対する懐かしさや愛おしさが堰を切ったようにとめどなく溢れてきたのだ。なぜそんなことが起こったか。今まで蓋をしてきた自分の気持ちを解き放ってもいいという「時間」が巡ってきたからではない。ほかならぬ、言葉(詩)が、父との時間や父を失ったかなしみを、生きるための新たな時間や感情として甦らせたからではないか。言葉が「私」を変えたのだ。父やそのほかの家族や、親しい周辺に語り掛けるような話し言葉の調子は、実はすべて「私」自身に向けられていることに気付く。つまり、父を失ったかなしみを甦らせる言葉は、「私」をかなしませるためのものではなく、父との時間を生きなおし、むしろ「私」自身の今を生かしているのは父の存在にほかならなかったという発見へと「私」を導いていく。おそらく、次から次へと詩は生まれたのではないか。そうやって、言葉(詩)が「私」を開いていく。決して逆ではない。龍秀美の場合もそうであったように、これからを生きるための言葉を発見したのだ。
by loggia52
| 2017-03-16 08:56
| 詩
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