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![]() 柄澤さんがF.Bで快慶展のことを書いていた。実はぼくも5月の連休の一日を奈良で過ごした。むろん快慶を見た。連休で混むだろうなと危惧していたが、天候のせいもあったのだろう、思いのほかすいていた。会場ではいきなりの醍醐寺の弥勒菩薩坐像である。いささか狼狽える。端正な-というには余りに特異な異国趣味と、エロティシズムといえば憚られるが、その妖艶さを含んだ-明らかに平安期の阿弥陀如来の夢うつつの虚ろな朦朧とした仏像とは一線を画した明確な美意識の主張。胸騒ぎのするような快慶との邂逅であった。次々に現れる三尺阿弥陀のお顔を眺めていると、確かに当時の貴族など上層部の美意識は、異国趣味と、精神性に隠されたエロティシズムとに傾いていたと思われる。この異国趣味とエロティシズムが、鎌倉期の宗教運動と結びつく、そのダイナミズムはぞくぞくするような造型美を生んだ。 ![]() ただ、参拝する人のだれもいない多宝塔の中を、ひたすら箱眼鏡(大日如来はガラス越しに見るしかないのだが、光って見えないので、紙製の箱眼鏡が置いてある)をガラスに押しつけて覗き込む。おそらくその姿は野卑な覗き趣味の老人のそれに違いなく、そのようなぼく自身の恥ずかしさ以上に、運慶の大日如来が辱められているようで、今の日本の文化の有り様を象徴するていたらくのざまを演じざるを得なかったのは慙愧にたえない経験だったけれど。 ![]() さらに圓成寺からとってかえし、興福寺北円堂の無着・世親を見た。連休中にわざわざ奈良に来たのは、この北円堂の特別公開が5月7日までだったからだ。この日の北円堂内も、拍子抜けするほどに拝観者は少なかった。二像の圧倒的な量感と気魄に充ちた精神性のリアリズム。とくに、後ろから二像をみると、その存在感の大きさを実感する。いや、存在感というよりも、もっと物質的な塊(かたまり)のリアルな大きさに圧倒される。
by loggia52
| 2017-05-19 22:33
| 美術
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Comments(1)
快慶展で感じた、わたくしなど教養なき者が云うのも憚られますが、漠然とした期待から肩すかしの感じが納得できました。
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