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![]() 永井陽子の歌については、もう何年も前にこのブログで書いた覚えがあるので確かめて見ると、ここにある。 この全歌集が届いた時には、そのずっしりとした重みから、しずかな興奮さえ覚えたくらい、待ちに待った本だった。その任意のページを開いたのがこの写真『樟の木のうた』(1983年)。 ![]() 生きもののかそけき息にくもりゆく玻璃雛たちは竹籠にねむる 千載の世に人として在るかなしみをしなやかに抱き日暮れは来たり ふりかへりまたふりかへりひとすぢのかなしみのなかへおりてゆく夜 夜空にも雲あることのあたたかさ馬寮(むまのつかさ)の舎人もねむる 萩を焚けば夭き日に逢ひし者が呼ぶ陽は落ちて暮れなづむ界より 任意のページを開いても、魅かれる歌がこれだけある。この胸苦しくなるような繊細さ。生きるということと、ことばを紡ぐということが、同義であるような。ことば(歌)という鏡に映る自分にしか、自らの存在の在処がないとでもいうような。 「馬寮-むまのつかさ-の舎人」が出てくるが、永井陽子の歌には、こういう王朝和歌への憧れが通奏低音にあって、ぼくは勝手に「王朝もの」と名付けているのだが、この憧憬は、芥川龍之介の「今昔」「宇治拾遺」の世界のそれを思い出させる。このことについてはいずれ書いてみたいと思っている。 寂しいひとみと寂しい肩を寄せ合えばあんどろめだの息が聞こえる 大男が梅雨明けちかき街に来てそらの滑車をまはしはじめる 鹿たちも若草の上にねむるゆゑおやすみ阿修羅おやすみ迦楼羅 人は最後に己が骨格をくだかれてねむりにつくとおもふ緑陰 折りたためばわたしは小さな蝙蝠傘になるだらう今日こんなに疲れて 月光にさへこんなに軋むこの家には何本の釘が打つてあるのだらう 永井陽子の短歌を詠んでいると、歌の毒ということをいつも考える。この毒は必ず歌人は飲まねばならず、同時にそれを解毒するための次の展開を準備しなければならない。毒が身体に回りきらないうちに。ただ、ぼくには、その人が飲んだ歌の毒に、すでに解毒の処方箋も溶かし込んであるように思う。いろいろな思いに誘われる歌人である。
by loggia52
| 2017-12-09 00:22
| そばに置いておきたい本
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Comments(3)
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