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![]() ○細見和之『ベンヤミン「言語一般および人間の言語について」を読む』(岩波書店) ○三浦雅士『孤独の発明 または言語の政治学』(講談社) 〇ダニエル・ヘラー=ローゼン『エコラリアス』(関口涼子訳)(みすず書房) 図らずもこの3冊は言語を巡る考察。むろん図らずもというよりも、詩の言葉としての言語にいま一番ぼくの関心があるということなのだが、どれも薦めたい3冊。
細見さんの本は2009年岩波書店から出たものだが、前々から中断しつつ読み継いできた。ベンヤミンの最初期の「言語一般および人間の言語について」という1916年に書かれた言語論を、「すべてのパラグラフを、さらにはすべての行を私なりに読み解く」という試み。晶文社の著作集では、わずか30数頁の論考を、実に丁寧に、綿密に、読み手の思考の流れを考慮しながら読み解いていく。この本に引きつけられるのは、あくまでも、テクスト自体の読みをきちんとしたうえで、それに重ねて、細見さんの踏み込んだ私的な読みがしっかりと披瀝されていることだろう。 例えば、ベンヤミンは、言語を、「言語一般」とあるように、人間の「言語」とともに、「事物」の言語というものにも着目する。「精神的内容を伝達しようとするもの」はすべて言語と捉える。絵画の言語、彫刻の言語、音楽の言語などなど。そして自然現象も、例えば地震も言語と考えられると細見さんは言う。少し長いが、先刻の北海道の地震の折りににも、以下の部分を思い出したので引用してみる。 「このベンヤミンの言語論を精読するうえで、私にあったのは、地震の言語、そして人間の言葉によるその「翻訳」というイメージだった。ベンヤミンにならって言うと、いまから十数年前に神戸を中心に生じたあの出来事もまた、「自然の言語」とつうじてつぎつぎと「伝達」されていったのだ。建物が、ハイウェイが、立ち上る煙が、それぞれの「言語」であの出来事を「表現」していった(ふたたびベンヤミンにならって言うと、あの「自然の言語」のひとつひとつは、「歩哨」が自らの言語で伝えていった、禍々しい「秘密の合言葉」でもあったのだ)。 そのとき、地震が文字通り「地の震え」であることを、そして「地震」という文字がまさしくその暴力的な振動を自らの一画一画のうちに記憶し模倣し具現していることを、身体感覚そのもので痛覚せざるをえなかったひとりが詩人・季村敏夫だった、と私は考えている。そして、その後の季村の、いまにいたるまでの詩的行為とは、まさしく地震の言語を人間の言葉に「翻訳」し、あの出来事にかけがえのない名前を与えるという、憑かれるような営みだったと私は思う。」(第6章)
by loggia52
| 2018-09-11 00:12
| 書物
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