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![]() ![]() ![]() シェルタはおそらく人類を守るために作られたもの。ぼくたちが生きるために、あるいは、生きるに必要な最善のすがたとして描かれた空間だったはずだ。あるいは、カタストロフからまぬがれるために作られたものだ。しかし、何があったかは知れない。なぜ、今のすがたになったのかもわからない。シェルタには人はいない。あたりの自然には、草も木もない。生命もない。 どれほどの時間が流れたかしれない。そこに緑が戻って、ヒトもかえってくる。ヒトは何が起こったのかさえわからない。ただ、その場所が、そのシェルタの形象によって、カタストロフの記憶がうずめられた場所であることを感じる。そのなかで、ヒトは水の玉と出会う。 水の球は涙であり、島であり、魚であり、生き物であり、命の息づきである。一つが一つにぶつかり、また流れ出す。そのたびに、記憶が呼び覚まされるが、それは何かを思い出すためではなく、むしろ何かを思い出さないためのかたい沈黙の意思の水脈のようだ。 鳥の声、リボンのそよぎ、空の光。それら外界の風や鳥の声や光が、カタストロフの記憶のように破壊されてできた開口部からもたらされるのは象徴的だ。カタストロフは圧倒的なヒトの死をもたらすと同時に、それらのなだれるような自然の生命の息づきが、水(の玉)から生まれていること、そしてそれが、ヒトの生命の泉でもあることを教えてくれる。 ![]() (写真ー鑑賞者はこの入り口から入る) そんなことを思いながら、あらためて、この美術館にやってくることの意味を考えてみる。この《母型》のなかにいるいる鑑賞者は、もちろんだれも同じ思いでそこにいるわけではない。それなのに、鑑賞者はだれもが、何か同じひとつのことを思い出そうとしているように見える。そのような心の姿勢が、鑑賞者の身体を貫いているように見えるのも、《母型》のなかにいることからきているにちがいない。まるで、鑑賞者も、《母型》の水玉や、開口部からもたらされる光や鳥の声などと同じように、個人的な履歴をすべて拭われて、この作品のなかの重要な要素を与えられたかたちなのだと思えてくる。
by loggia52
| 2018-12-03 11:21
| 美術
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