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![]() おおやけの、もしくは《晴れ》の仏像にたいして、《褻》の仏像というものがある。もっと個人的な、私的な魂の救済や慰安や心のよりどころとしての仏像。どこか稚拙で、おおらかで、愛らしい、つまりは人懐っこいほとけたち。 最近、そんな小さな仏像を持ちたいと強く思うようになった。奈良の国立博物館の仏像館でいくつかの小さな仏たちにであったのがきっかけだが、おもわず手の中にいれて、そのまま持ち帰ってしまいたいような、ほとけたち。その小ささは、こちらの魂のちいささにふさわしいからというのではなく、仏性に手を触れるばかりか、それを手の中に包み込むことができるという、つまり、仏性を自らの身体に容れるということの、えもいわれぬ秘密のよろこびのようなものをいだかせる。通常の仏像は、仏像の持つ仏性に包まれたいと思い、抱かれたいと願うのだが、この小さな仏像は、逆に仏性を自らの身体に包んでしまう―つまり、自分が仏性を帯びるのではないかという秘密の愉悦のせいで、ぼくを魅了する。 そのような念持仏や、小さなほとけたちを集めた小さな本を、これも東京で偶然手にした。ホテルが神保町に近かったせいで、朝は東京堂の2階でゆっくりすごしたのだが、そこでこの本にめぐりあった。『てのひらのみほとけ』。ぼくが奈良博で見た小さな仏たちもいくつか再会した。 その本を繰りながら、ふと、ちかごろいただいた木の実のかたちをした小さな木の容れ物のことを思い出した。 ぼくはかねがね、ブナやミズナラの秋の森を歩くときは、我知らずトチやミズナラやブナやクルミの実を拾ってかえるのだが、一季節が過ぎると、乾燥して、ほどよい重さになり、ちょうど手になじむようになる。それを手のひらに包み込んで持ち歩くこともあるのだが、それらの木の実(種子)がはらむ森の小宇宙を手の中に握りしめているという感覚のことを思い出したのだ。 この木の実のかたちをした容器は、ちょうど仏舎利のように、そのなかに小さなものを容れるのだが、さて何をいれようかと思案していたのだが、今はブナの実と、熟せずに落ちてしまったトチの未熟な実を混ぜて容れている。それを握りしめて振ると、乾いたしゃりしゃりという音がして快いのだ。しばらくは、念持仏のかわりに、この木の実の容れ物を愛でることにしようと思っている。
by loggia52
| 2019-03-29 00:21
| 美術
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