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![]() サントリー美術館の「遊びの流儀」には、ほんとうに驚かされた。図録の表紙になっているカルタに興じる男女の表情と、たたずまいの自由さ。ねそべるもの、正座するもの、片膝をたてるもの、崩れたあぐらの姿勢。指づかいや腕の仕種なども、よく見ると、けっして今のぼくらの身体からはでてこないような運動性。ある種の官能性さえ、感じるのはぼくだけか。ふだんぼくらがトランプ遊びに興じるとして、こんなに艶っぽい指の動きや座りかたをしている人を見ることはまずない。 遊楽図という屏風画の世界にはほとんど無知だったから、(そもそも風俗画について、最近ようやく興味を持ち始めたにすぎない)よけいに衝撃を受けた。まず、「松浦屏風」。これが本当に江戸初期の画かと疑われるほどに、ぼくのなかにある近世の遊女のイメージを見事に裏切っている。髪の黒さ、肌の白さ、何よりも女性たちの表情の穏やかさ、ちょっと言い過ぎかもしれないがずいぶん健康的なのだ。健やかというほうがいいかもしれない。官能性と健康さとは相容れないものだが、しかし、この屏風がしつらえられた部屋にひとりたたずんでいるのを想像すると、そうとうに正気ではいられないような気がする。そういう意味では、これほど官能的な画もないのかもしれない。 遊里はいうまでもないが《遊び》の世界である。カルタ、囲碁、音曲。それに、この屏風ばかりでなく、目に付いたのは手紙である。手紙をしたためたり、相手からの手紙を手渡したり、読ませたり。その仕種や意味が、このデジタルの時代に生きるぼくらなどには、なんとうもうらやましい時間を作り出している。また、キセルや楽器や手鏡などのディティールとそれを扱う女性の身ごなし。よく見ると、このような身体の使い方や仕種に、むしろ懐かしさを感じてしまう。 ぼくらのように、小学生から挨拶の仕方から起立ー礼を教えられ、西欧軍隊式の行進や合理的な日常の身体訓練を受けた身ごなしとは、まったくちがう身体性につつまれたこの屏風の人たちのほうに、ぼくらは自由—いや自由というよりもある種の解放感を感じてしまう。厳しい身分制のなかにがんじがらめになっていたはずの時代に、この《遊びの流儀》の世界だけは、そうした社会制度から解かれているかのようだ。それは、ぼくらが近世の遊里の世界にたいするイメージとはずいぶん違う。《遊び》《遊楽》の世界のもつ解放感、健康ささえ排除しないような官能性のせいかもしれない。そんな世界を知ることができただけでも、この展覧会は見てよかった。 図録で、徳川美術館の学芸員の吉川美穂さんが、奇しくも「目の悦楽」という言葉をしるしておられるが、たしかに、今度のこの展覧会では、どんな細部、どんな箇所を見ても、見飽きるということがなかった。
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by loggia52
| 2019-08-18 18:41
| 美術
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