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![]() 先日、姫路文学館と姫路市立美術館とで開かれている川端康成コレクション展を堪能した。 あまりにも多くのことを感じて、さて何から書いていいものやらと、書きあぐねているうちに、もう数日経ってしまった。 すると、ますます書きにくくなってしまった。 いちばん釘付けになったのは文学館の浦上玉堂の「凍雲篩雪図」だ。美術館のほうでも池大雅・与謝蕪村の「十便十宜図」をはじめ、大雅の「秋景山水図」などの南画(水墨画)がいくつかいいのがあって、それらの前でも長いこと見ていた。ぼくはやはりこういう水墨画の世界にいちばん魅かれるようだ。どうしてだろうと、ずっと考えているのだが、いまだにこれという答えが見いだせない。ただ、「凍雲篩雪図」を見ていて、この絵に見えるものの向こうにはもうこれ以上なにもないと思わせるものがある。気韻生動という言葉をぼくは若いころに東洋美術を習ったときにいちばんはじめに教えてもらったが、その《気》が見る人を寄せ付けないほどに満ちて、なんとも沈鬱で、鬱屈とした印象を与えるにもかかわらず、そういう情動的な印象をこえて、言うならば、風景が精神的な世界に溶解していくような、あるいはその逆に、気の世界(精神世界)が風景に乗り移っていくその時間を描いているような印象を受ける。魂が風景に変わる刹那、あるいは風景が魂の世界に散じていく刹那を描いた画のようにも見える。なんとももどかしい表現しかできないが・・・。 ![]() ![]() ああ、これはどこかで見たことのある風景、何か大切な記憶を呼び覚ますような既視感のある風景、しかしそれはもう隔絶して還ってこない記憶の向こう側の世界でもあることを納得させられる風景。従ってそれは、世界のどこにもないときっぱりと言いうるような超俗的な空気感につつまれていて・・・。 玉堂のこの絵は、そうした水墨画の極北に位置する。この画を見て、そこを動けなくなるのは、この画が醸す精神世界を、ぼくやぼくの遠祖の人々がその記憶の彼方できっと経験したことがあるからに違いない。
by loggia52
| 2019-09-19 21:18
| 美術
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